ドイツの歴史を振り返ると、第一次大戦の敗北後、1923年のハイパーインフレ(1兆倍)で経済破綻したことと、1929年の世界恐慌の影響で深刻な不況と大量失業者を出したことによって、ドイツ経済は2度破綻した。その結果、中産階級の財産は失われた。社会が混乱を深める中、ヒトラー率いるナチス党が支持を広げていった。ヒトラーによる公共事業や軍事施設の拡大により、ドイツ経済は復活した。
1923年のハイパーインフレ
1917年、第一次世界大戦で疲弊したロシアは深刻な食糧不足に陥り、同年3月、食糧暴動が首都で発生(二月革命)し、ロシア帝国が崩壊した。同年11月、十月革命によりソヴィエト政権が樹立した。ロシア革命の成功を見たドイツの労働者は、パンと平和を求めるデモやストライキを行った。イギリスによる海上封鎖下によりドイツも食糧不足であった。1918年11月3日、キール軍港の水兵による反乱をきっかけにドイツ革命へとつながっていった。ドイツ革命の結果、皇帝ヴィルヘルム2世は退位し、オランダに亡命した。社会民主党エーベルトを首相とする臨時政府が成立した。11月11日、ドイツは連合国との休戦条約に調印し、第一次世界大戦が終結した。1919年1月より戦勝国によるパリ講和会議が開かれ、同年6月ヴェルサイユ条約が結ばれた。ドイツは全植民地を失い、さらに石炭や鉄の主要な産地も失った。賠償金は1921年のロンドン会議で1320億金マルクと決められた。敗戦国ドイツにとって、賠償金の支払いはとうてい不可能であった。当時は金本位制であったため、ドイツから金(GOLD)がどんどん流出していき、マルクの価値はどんどん下がっていった。これを見たフランスはベルギーと共に1923年1月11日ライン川を越えてルール地方を占領。賠償金を現物で受け取るという意思を実力で示した。ルール地方はドイツ最大の工業地帯であったため、ドイツ経済は破綻し、ハイパーインフレを引き起こした。1922年7月時点でも為替レートが100倍マルク安となっていますが、1923年11月には戦争前と比較して1兆倍に達してしまいました。暖をとるために薪が買えなかったので札束を燃やしたという逸話もこの時の話である。

ハイパーインフレにより、市民生活は破壊され、ドイツは混乱した。1923年11月、銀行家シャハトの協力によるレンテンマルク紙幣(1レンテンマルク=4兆2000億旧マルク)の発行により、なんとかインフレを抑えることに成功した。この頃、ヒトラーはミュンヘンでクーデターを起こし、失敗している。1924年 新たに賠償支払い計画(ドーズ案)が作成され、アメリカから資本流入もあって、インフレは沈静化した。1929年の世界恐慌まで、ドイツ経済は安定していた。
1929年の世界恐慌
1929年10月 NY株式市場が大暴落。アメリカ経済の破綻は、経済復興中のドイツにも深刻な打撃を与えた。アメリカが外国(特にドイツ)に投資していた資金を本国に引き揚げたからである。1932年、ドイツの工業生産は4割減、失業者は600万人に達した。アメリカは賠償金の支払いを一時停止(フーバー・モラトリアム/1931年)を宣言したり、ローザンヌ会議(1932年)で連合国に支払う賠償金を30億マルクに減らしたがが事態は好転しなかった。ヒンデンブルク大統領による非常大権によって成立した内閣により、恐慌の克服に努めたが、効果はなかった。ドイツの中産階級は二度にわたる経済破綻により、職と財産を失っていた。また、資産家達は、再び革命が起こるのではないかと考えていた。労働組合や共産党の勢力が拡大する恐怖と、経済再建に向けての希望を込めて、ナチス党を支持した。1932年7月の選挙で第一党となった。1933年1月、ヒンデンブルク大統領はヒトラーを首相に任命した。ヒトラーはクーデターにより政権を握ったのではなく、選挙により多数派となった結果である。当時のドイツ国民がナチス党に騙されたわけでもありません。経済的困窮を解決してくれる政党を支持したのである。ドイツが共産化するよりはいいだろうと判断したのです。政権を握ったヒトラーは議会を解散し、選挙に圧勝。1933年3月、全権委任法を成立させ、ワイマール憲法は停止、全ての政党を禁止し、一党独裁を確立した。その後、公共事業や軍事施設の拡大を通して失業者の救済を図り、1939年には失業者は30万人に減った。植民地を持つ英米仏はブロック経済を作り、世界貿易が縮小する中で、植民地のないドイツイタリア日本は軍需産業の強化、新たな植民地を求めることで危機を打開するしかなかった。その結果、第二次世界大戦への道を歩んでいく。
橘みゆき 拝
