アジア通貨危機は、1997年7月のタイバーツの通貨切り下げからスタートした。タイを中心とした東南アジア各国のみならず、南朝鮮、香港、ロシアへと影響がドミノ倒しの如く広まっていった。アジア各国はドルペッグ制を採用しており、海外からの資金流入により、高成長を維持してきた。1985年のプラザ合意以降、円高不況に対応するため、日本企業はアジアへ工場を移転させる動きが強まり、アジア各国はマネー浸りとなった。
1985年から1998年の為替レートの動き

アジア通貨危機を語る前に、為替レートの動きをおさらいしたい。アジア各国がバブルになるほど資金流入した背景に、急激な円高ドル安の進展にあるからである。1985年9月22日プラザ合意を受け、為替レートは1ドル=240円から1987年末には1ドル=120円となった。急激な円高により日本は円高不況となった。また、1987年10月のブラックマンデーが発生したが、バブル経済中もあり、日本の影響は最小限に抑えられた。日本はますますアジアへの投資を強めた。1980年代後半から1990年代前半にかけて、アジア各国は金利が安い円借款の借り入れに走り、インフラの整備を行った。1990年には1ドル=160円のレベルまで戻ったものの、円高不況が続くなか、工場をアジアへ移転する動きが活発化した。そのため、アジア各国はジャパンマネーの流入により、高成長を謳歌していた。一方、日本の金融機関は国内の不良資産の償却をするための原資を確保するため、海外資産の投売りを繰り返し、円高の進展を後押しした。1995年になると1ドル=100円に達したが、アジア各国の通貨当局は一斉に円買いに走った。円借款の返済に必要な円を確保しなければならなかったからである。そして、1995年4月19日1ドル=79円75銭の最高値をマークした。円安に反転したのは、1995年5月31日に実施された日米協調介入(1ドル=81円から85円に急落)である。円安は、1998年8月の1ドル=147円まで続いた。背景には、日本経済の低迷、日本の金融システム不安があったが、1995年9月に公定歩合が0・5%に引き下げられた超低金利による円キャリートレードによる影響が大きかった。アジア通貨危機が発生した1997年5月は120円台であり、日本の金融当局には望ましい水準であったが、振り子が右から左に振れるように、円も売られすぎてしまった。だが、ロシア危機によって、1998年10月には1ドル=110円台に急騰。ヘッジファンドによる円キャリートレードの解消が急速に広まったためである。
タイバーツの通貨切下げ

1985年のプラザ合意以降、円高が急激に進む中、日本企業はアジアへ工場を移転させたり、インフラ整備のために円借款に積極的に応じたため、ジャパンマネーがアジア各国に大量に流入した。タイを始めとする東南アジア諸国は好景気に沸いた。経済成長率は年9%に達した。また、アジア各国はドルペッグ制を採用しており、金利を米国よりも高めに設定することで、海外からの資金流入を図り、高成長を維持してきた。1996年になると、高成長にもかげりが出てきた。また、タイの貿易収支も赤字となった。日米の為替レートが円安に反転したものの、1995年9月に日銀が公定歩合を0・5%に引き下げられたことを受け、円キャリートレードにより新興国へ資金が大量に流入していた。だが、これは逃げ足の速いマネーであった。

タイは海外から資金を借りて、国内のインフラや産業を整備して、輸出による売上げで金利を支払う経済構造であった。1994年に破綻したメキシコと背景は同じである。タイを始めとするアジア各国は、円高で輸出競争力が低下した日本を横目に見て、アメリカに輸出していたため、円安ドル高の局面になると輸出競争力が低下することは避けられなかった。タイバーツはドルペッグ制を採用していたため、通貨を切り下げることはできなかった。高成長を続けてきたタイ経済にも陰りが出てきた。1997年5月頃からタイバーツは実態よりも高く評価されているとして、ヘッジファンドは、大量にドルを買いバーツを売った。

当初、タイの中央銀行は為替介入を通じてタイバーツを支えたが、力尽き、1997年7月2日、1ドル=24バーツから29バーツへ切り下げ、変動相場制の導入に踏み切った。ヘッジファンドは巨額の利益を得た。一方のタイは、日本の金融支援を得ることができなかったため、IMFによる融資を受けざるを得なかった。1998円1月には1ドル=56バーツとなった。為替レートの急落はタイ経済を直撃した。海外からの借金は金利の高いバーツ建てではなく、金利の安いドル建てであったからである。タイでは工場が倒産し、失業者が増大した。タイバーツの急落のあおりを受け、ミャンマー、ベトナム、ラオス、カンボジアの周辺諸国も大きな打撃を受けた。後講釈になるが、日本から資金援助がなされたら、アジア通貨危機は発生しなかったのではないかと考えている。円の国際化を図るのであれば、絶好のタイミングであったが、当時の日本経済は金融システム不安がピークを迎え、銀行・証券会社を始め多くの金融機関が破綻していたので、国内で精一杯であった。結果論となるが、アジア通貨危機はドミノ倒しのように、世界各国に広がり、ロシアのLTCMが破綻するに至ったときに急激な円高に反転して、大打撃を受け、なおかつ多額のマネーを負担させられたのを見ると、結局は多額のマネーを失うこととなった。IMFの融資は1994年のメキシコ通貨危機には危機を回避することに成功したが、タイでは失敗した。これはメキシコの場合は政府の負債が危機につながったため、緊縮財政で政府にお金が戻ってくればよかった。タイの場合は民間企業の債務であったため、メキシコでやったことをそのままやったのではデフレ経済になるため、景気が悪化し、企業が倒産してしまい、結局お金は戻ってこなかった。
他の東南アジア各国への広がり
タイバーツの急落は、タイ周辺の東南アジア各国へも波及した。東南アジア各国はドルペッグ制を採用しており、日本を中心とした海外資金の流入によるバブルが発生していたこと、円安ドル高で輸出競争力を失い、高成長を続けてきた経済に陰りが出ていたというタイの事情とほぼ同様だったからである。タイの通貨変動で利益を得たヘッジファンドは、さらなる利益を求めて、他の国の通貨に足しても、現地通貨売りのドル買いの攻勢をかけた。フィリピンやマレーシアがほぼ同時期に、インドネシアが少し遅れた11月に通貨危機が発生した。インドネシアの場合、通貨危機による国内のインフレや失業により、暴動が発生。結局スハルト大統領が辞任して、経済の建て直しを行うこととなったが、他国と比べ経済復興するのに時間がかかった。マレーシアの場合、投機筋をシャットアウトするために株式取引規制や、マレーシアの通貨リンギを海外で取引することを規制するといった一時鎖国状態の規制を実施した。当然、多くの批判を浴びたが、結果としてマレーシアにとってプラスとなる資金しか入ってこなくなるため、アジア通貨危機からの立ち直りは早かった。国の指導者のリーダーシップによって、大きく変わる事例である。香港と南朝鮮そしてロシア
アジア通貨危機は、東南アジアにとどまらなかった。1997年10月、香港ドルに対してヘッジファンドが攻勢をかけたが、香港の金融当局は10億ドル以上の資金を投入するとともに、翌日物金利を8%から23%に上げ、ヘッジファンドが香港ドルを調達するコストを上げた。これにより香港ドルは変動相場制への以降を回避することができた。南朝鮮の場合は悲惨だった。IMFが乗りだして、財閥を解体するなど、経済が徹底的に改革された。それが南朝鮮の国民にとって良い結果とはならなかったが、それは別の機会にお話したい。アジア通貨危機はロシア通貨危機の原因ともなるのだが、これも別の機会にお話したい。利益を求めて走り回るマネーが大暴れした結果、アジア通貨危機を始め、多くの人を苦しめることにつながります。一方で、少数の人は大儲けしたり、危機の中で不正を働き、利益を得るといったことが続いています。いつまでこういう状況が続くのかはわかりませんが、長続きはしないと思います。
橘みゆき 拝

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