B円とマーシャル・ロー(戒厳令)
戦後、アメリカは沖縄をアメリカ軍政下に置いた。B円と呼ばれる軍票を流通させ、必要な物資を調達していたが、日本円に比べB円の公定レートを割高な水準にすることにより、日本から物資を安く調達する一方、沖縄経済を空洞化させ、基地に依存する仕組みを作った。ちょうど宗主国が植民地から略奪する行為に似ている。
沖縄戦(1945年4月1日~6月23日)
1945年4月1日、アメリカ軍は55万人の兵力で沖縄本島の中央部、読谷村から上陸し、圧倒的な戦力で沖縄に攻撃を加えた。沖縄県の人達は日本軍と協力して防衛したが、どんどん南へ退却を余儀なくされ、糸満市の平和記念公園(摩文仁の丘を中心としたエリア)にて、終結を迎えた。沖縄戦における戦死者は約20万人とされ、うち約12万人が沖縄県民であった。戦場となった沖縄は、空襲や砲撃により、山の形が変わってしまうほど、壊滅的なダメージを受けた。
アメリカ軍による沖縄統治
戦後、アメリカは沖縄をアメリカ軍政下に置いた。沖縄は東西冷戦の最前線として位置づけられ、沖縄のいい土地の大半をアメリカ軍基地に変えてしまうほど、広大な土地を接収した。これにより多くの人が土地を追われた。農家だった人は生産手段を失い、基地関係の仕事に就くなど、アメリカ軍基地に依存した仕組みに組み込まれることとなった。1952年4月28日に発効した日本との平和条約が結ばれたものの、アメリカ軍の管理下に置かれた。アメリカは琉球政府を創設して沖縄を軍政下に置き、沖縄の各地にアメリカ軍基地・施設を建設した。現在もそうであるが、当時はアメリカ兵による事故・事件が頻発しており、住民の死亡者も相次いだ。住民は「島ぐるみ闘争」と呼ぶ抵抗運動を起こす一方、日本復帰を目指して祖国復帰運動を行った。1960年代になり、ベトナム戦争が勃発すると、沖縄は最前線基地として機能が強化され、アメリカ兵による事件・事故も増加した。1970年12月20日、沖縄本島のコザ市(現・沖縄市)で、アメリカ軍兵士が連続して起こした2件の交通事故を契機にコザ暴動が発生した。これ以上沖縄をアメリカ軍政下に置くことは適当でないと内外に知らしめた。
日本への復帰 1972年以降
1969年の日米首脳会談で、ニクソン大統領が沖縄返還を約束した。1972年5月15日、琉球政府は沖縄県となり、日本に復帰した。多くの沖縄県民は日本復帰と同時にアメリカ軍基地の全面返還を望んだが、アメリカ軍基地を維持したままの「72年・核抜き・本土並み」の返還となった。アメリカ軍基地は現在(2007年)も、少し返還されたが、主要な基地はそのまま残っている。日本復帰を記念して1975年には沖縄国際海洋博が開催された。沖縄県は観光が主要な産業であるが、アメリカ軍基地はいまだに沖縄に多くある。アメリカ軍再編の動きにより、本土やグアム・ハワイに移転する部隊もあるが、支那やロシアなどの大陸国家に対するけん制をする役割として、アメリカにとって沖縄のアメリカ軍基地の存在意義は、冷戦当時と変わらずである。
沖縄で流通した軍票 B円
B円は、1945年から1958年9月まで、アメリカ軍占領下の沖縄で、通貨として流通したアメリカ軍発行の軍票である。1948年7月21日に新旧日本円が流通を禁止されるまで、B円と日本円は一緒に流通していた。交換レートは日本円1円=1B円であったが、円ドル為替レートが1ドル=360円に定まると、1950年4月12日に日本円3円 =1B円(1ドル=360日本円=120B円)となり、B円が廃止されるまでこのレートが使われた。日本円に対して、沖縄で流通するB円は割高なレートとなったのである。沖縄経済は本土と比較して競争力を失い、空洞化した。また、アメリカ軍の立場から見ると、日本から物資を輸入する際、安く買えるというメリットがあった。B円は、1958年9月16日から20日にかけて、アメリカドルへの通貨切り替えにより、廃止された。アメリカ軍は沖縄経済を復興させるのではなく、基地に依存する仕組みを維持する一方、日本から物資を安く買うために、B円を割高なレートの水準とした。幕末に金銀レートの違いを利用した商人達によって、日本から大量の金が流出したお話を思い出してしまう。欧米人は植民地から略奪することで自分達の利益を得ている構図がここにも見える。
欧米人による植民地経営のパターン
話は変わるが、沖縄の話を書いていて、18世紀から20世紀前半にかけての植民地において、宗主国に搾取され続けられる様子に何か似ている気がした。戦前、日本は朝鮮半島や満州、台湾に対して、電気、水道、鉄道、道路、学校などのインフラを整備したり、街づくりや工場への投資をどんどん行ってきた。国内よりも大陸への投資が優先されていた。太平洋の島々では農業を教えて、島民が自立する手助けをしていた。日本の都合もあるが、現地の産業を立ち上げていた。さて、欧米諸国は植民地に対して、そのようなことをやっていただろうか? 地下資源を掘り、枯渇すれば捨てる。プランテーションなどの大農園を作っても、生産能力が落ちれば捨てて別の土地に農園を作る。先住民の畑を奪い、食うに困った人達を低賃金で雇って、ボロボロになるまでこき使う。。これが欧米人による植民地経営のパターンではないだろうか。植民地の産業を興すのではなく、略奪と言うべきだろう。植民地で生産したものを安く買い、本国で高く売る。形は違うが、今も似たようなことをやっている。奴隷として売られることがないだけ、マシかもしれないが。欧米はひどいことをしているという認識は持っていて損はないだろう。
橘みゆき 拝
ニューヨークで、アラブゲリラの犯行とみられる連続テロ事件が発生した。動揺が広がるなか、アラブ系市民とほかの市民が一触即発状態になり、ついに軍は、アメリカ史上初の戒厳令(マーシャル・ロー)を施行する。ニューヨークは戦場となってしまうのか? FBIとニューヨーク市警が共同で組織したテロリズム対策本部長のデンゼル・ワシントン、戒厳令軍総司令官のブルース・ウィリス、ミステリアスなCIA活動員のアネット・ベニング。それぞれが白熱の演技を披露する、ポリティカルアクションである。 テロリスト逮捕が先か、軍が市民に銃を向ける「暴発」が先か。サスペンスフルに展開するストーリーは目が離せない。監督のエドワード・ズウィックが脚本も担当している。(伊東文恵)
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