日本は四季の変化がはっきりとしている地域です。季節の移り変わりを通して、花鳥風月を楽しんできました。春、夏、秋、冬。そして春が再びやってきます。1年を1サイクルとして季節が変化していきます。日の出日の入りや月の満ち欠けをはじめ、自然はさまざまな周期で私達に変化を促しています。一方、時の流れは、過去から現在、未来へと続く一本道です。この2つを組み合わせると、ちょうど螺旋階段のような形となります。

今年の春は、去年の春と同じように見えているけど、実は同じではなく、1年の時間分だけ進んでいるのです。視点を変えて、人間の一生をみてみると、誕生から死ぬまでの間、少年期、青年期、壮年期、老年期といくつかの時期に分けられます。若くして亡くなる方もいますが、老人まで長生きした人だと、こんなカーブを描きます。

子供が誕生する時期を青年期から壮年期の間とすると、下の図のようになります。親と子の力関係を、さきほどの図に重ねて見ると、親の老年期に入る時期に、子は青年期に入り、力関係が逆転します。世代交代が行われます。

親の時代、子の時代、孫の時代・・・、有限の時間しか生きられない私達が、次の世代を産み、育てることで、遺伝子が引き継がれ、世代交代が進みます。個々の人が集まって集団が形成され、社会が作られると、社会全体がまるで1人の個人と同じように、社会が誕生し、時代に合わなくなって消滅します。人間の一生の間、平穏無事に過ごせる人がいる反面、苦労の絶えない人もいますので、ある社会体制が誕生してから消滅するまでの時間は長くも短くもなります。リレーのバトンを次の走者に渡すように、親の世代からバトンを受け取り、子供の世代にバトンを渡すまでの間、転んだり、倒れたりしないように走り続けるようなものです。

旧体制が理想と栄光を忘れ、堕落と腐敗が進むようになると、老年期を迎ます。ちょうどその時、新体制の芽が生まれます。ある時点で旧体制が自滅すると、新体制の成長が始まります。旧体制の崩壊と新体制の勃興に時差がある場合、混乱状態となってしまいます。そういうケースだと新しい時代が来るまでに犠牲が大きくなってしまいます。そのため、旧時代のやり方が行き詰まる前に、新しい時代の種を蒔いて、育てておく必要があります。

こうして見ると、1人の人間の人生と、ある社会体制の歩みは、たいへんよく似ています。不死の人間がいないように、不滅の国家はありえません。歴史の教科書を見ると、実に多くの国家が興亡を繰り返しています。そんな中、社会体制の変遷をみると、あるパターンが見えてきます。季節が移り変わるのと同様、社会もまた移り変わっていきます。それがラビ・バトラさんの「社会循環論」や、村山節さんの「ソーシャルシステム」の発見へとつながっていきます。
橘みゆき 拝
