とかく人の世は住みにくい
夏目漱石の「草枕」の冒頭にこんなくだりがあります。「人の世は住みにくいが、詩人や画家をはじめとする芸術家によって人の心を豊かにすることができる」と受け取れるので、私のお気に入りの文章です。
山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。
智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高(こう)じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟(さと)った時、詩が生れて、画(え)が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣(りょうどな)りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束(つか)の間(ま)の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降(くだ)る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故(ゆえ)に尊(たっ)とい。
クリエイター達よ、立ち上がれ
明治時代の詩人や画家は、いまでいうと、クリエイター達である。ネットのHPやブログ、動画サイトなどに自分達の作品を掲載するデジタル職人の他にも、コスプレや人形造形師、絵画や書道などアナログ領域で活動している人達もいる。お盆や年末に聖地(東京ビッグサイト)巡礼する人達(3日間で延べ50万人:実数20万人)をはじめ、イベントやお祭りなどに出没し、交流を深めています。1990年代前半、NIFTY-Serveの中で、同好の志が集うフォーラムやパティオが数多く出来る一方、Big-Modelというソフトを利用して自宅のパソコンを個人BBSも盛んに行われている。オンラインでの交流とともに、オフ会(オフラインミーティング)を主催し、遠方にいる友人とお話する機会も出来ました。それから15年以上経過し、文字が主体のパソコン通信から、インターネットでのHPやブログにより、文字以外にも、絵や音楽、動画のやりとりができるようになりました。300bps/1200bpsの時代から、次世代光ネットワークにいたるまで、通信が高速になったおかげです。
ネットの世界(仮想世界)では、現実世界と異なり、時間と空間の壁はありません。地縁、血縁、会社の縁、学校の縁など、どろどろとしたものもありません。仮想世界は数えられないスペースがありますから、自分が行きたい所を自由に選べ、嫌になったら別の所に行けば良いのです。現実世界が土地に根付いた樹だとすると、仮想世界は海を回遊する魚やイルカといえます。数は少ないけれど、2万キロ先の仲間と交流することをしているクジラもいます。仮想世界には、多種多様の世界があり、そこを出たり入ったりするのですが、別の世界に行っても自分と似たような人が多い、ぬるま湯みたいに居心地の良い世界です。
一方、現実世界では、多種多様の価値観がゴチャゴチャに混ざり、百花繚乱の如く花を咲かせています。「ダンテの神曲」に出てくる、地獄・煉獄・天国(死後の世界)、そして自分の国(生者の世界)が1つに混ざり合い、均等化していない状態です。善人と悪人が同居し、お互いに切磋琢磨して(足を引っ張り合うのではありません)、魂をよりよい状態にするための修行の場だともいえます。死後の世界である「地獄・煉獄・天国」は、それぞれが自分達が行きたい場所を選べるため、同じような人達が、それぞれの世界に振り分けられます。似た者同士で好き勝手なことができるため、居心地がいい反面、魂の修行にはなりません。この世とあの世の関係は、現実世界と仮想世界との関係と似ている部分が多々あります。
住みにくき世から、住みにくき煩(わずら)いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画(え)である。あるは音楽と彫刻である。こまかに云(い)えば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧(わ)く。着想を紙に落さぬとも※(「王へん+樛のつくり」、第3水準1-88-22)鏘(きゅうそう)の音(おん)は胸裏(きょうり)に起(おこ)る。丹青(たんせい)は画架(がか)に向って塗抹(とまつ)せんでも五彩(ごさい)の絢爛(けんらん)は自(おのず)から心眼(しんがん)に映る。ただおのが住む世を、かく観(かん)じ得て、霊台方寸(れいだいほうすん)のカメラに澆季溷濁(ぎょうきこんだく)の俗界を清くうららかに収め得(う)れば足(た)る。この故に無声(むせい)の詩人には一句なく、無色(むしょく)の画家には尺※(「糸+賺のつくり」、第3水準1-90-17)(せっけん)なきも、かく人世(じんせい)を観じ得るの点において、かく煩悩(ぼんのう)を解脱(げだつ)するの点において、かく清浄界(しょうじょうかい)に出入(しゅつにゅう)し得るの点において、またこの不同不二(ふどうふじ)の乾坤(けんこん)を建立(こんりゅう)し得るの点において、我利私慾(がりしよく)の覊絆(きはん)を掃蕩(そうとう)するの点において、――千金(せんきん)の子よりも、万乗(ばんじょう)の君よりも、あらゆる俗界の寵児(ちょうじ)よりも幸福である。
漫画家はマンガを描き、小説家は小説を書く。クリエイター達は、自分の魂から湧き水の如く湧き上がる創作意欲に満ち溢れている。最近秋葉原に巣食う消費しかしない(できないとは言いません)連中とは異なり、マンガや小説を読む時間は一般人よりも密度は濃いが量は少ない。その反面、旅行や冒険をしたり、映画を繰り返し観たりする。自分の感性を磨くためである。クリエイターの行動パターンは、一般人と大きく異なるがゆえ、自ら逸脱した人、逸般人(いつぱんじん)と自称しています。
橘みゆき 拝
【関連HP】
草枕(著:夏目漱石) (青空文庫)
ダンテの神曲 (Wikipedia)
