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2006年12月14日

連載コラム13 楽園ロタ島:ゾーニングの重要性(後)









今回は、連載コラム12からのつづき。ロタ島でのゾーニングの提案を試み、水素の島を目指す『アクエイリアス・プロジェクト』について考えてみたい。私のロタ島に関する連載コラムの最終回となる。





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5.自然保護は分散して広くネットワーク化



市街地など環境負荷は一ヶ所に集中すると自然環境の受けるダメージが小さくなる。逆に、自然環境のための対策は、一ヶ所一分野だけで徹底的(集中)にやっても努力の割に効果がそれほど上がらず、従って環境全体への貢献は少ないことをお話した。自然保護などはその好例だ。ほどほどの保護で良いから、できるだけ広範囲に広げて分散させネットワークする方が、徹底的な保護を極く狭い範囲だけでするより、ずっと大きな効果が得られる。もちろん、徹底的な保護を広範囲にとれるのが理想であることは言うまでもないが。



現在、ロタ島にはウェディング・ケーキ・マウンテンの他に、2つの保護区がある。ひとつは緩い保護ながら比較的広い面積を持ち、ロタ島最高地点であるサバナ山(標高495m)を含む高原のサバナ地区(写真)。もうひとつは、かなり徹底しているが狭い範囲のバード・サンクチュアリだ(写真)。












この3つの保護区をロタ島の地図上で見ると、あまりに少なくしかも分断されていることが分かる(地図)。これでは自然環境への貢献はあまり大きくないと言わざるを得ない。(現状ではその間の自然が豊かなので全く問題ないのだか、将来どうなるのかは分からない。)








これでは、ロタ島の素晴らしい自然環境を末長く守るためには全く不十分だ。自然保護区はより広くとり、さらにそれぞれをネットワーク化したい。特に鬱蒼(うっそう)としたジャングルが手付かずのまま残っているロタ島東部地区は是非保護したい(写真)。また、素晴らしい海岸線と海中のダイビングスポットも守りたい(写真)。ウミガメが産卵する(らしい)砂浜は、人間を近づけない厳重な保護区とする。さらには、ロタ島北東部の岩盤が浸食されてできた絶壁の海岸線も、ダイナミックで素晴らしい景観だ(写真)。












いずれにしても、緩い保護でよいから、現在よりもっと広い地域をカバーし個々の地区をネットワークするような保護区を設定したい。しかもそれは海岸線と沿岸の海中も含める(地図)。緩い保護というのは、場所や状況によっては自然環境に配慮した農林水産業や観光などの持続利用を認めるという意味だ。








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6.近自然学からのゾーニング試案



土地利用のためのゾーニングには、建設許可地区(宅地)、公共施設、公園、農地、森林、道路、空港、港、送電線、パイプライン、ゴミ処理場、河川湖沼、リクリエーション地区、自然保護区などが規定されるのが一般的だ。








しかし、今回のコラムではそこまで厳密に考える必要性はないだろう。最も重要なのは、ロタ島において、どこを人間が利用し、どこを自然のために確保するかの線引きだ。



今ロタ島で人間が利用している場所を地図上で見ると、飛行場やシナパル村のある中央部、砂浜のビーチとホテルのある北部海岸沿い(写真)、そして南北2つの港とソンソン村のある西部に偏っていることが分かる(地図)。










そこで、現状での土地利用を尊重して、島民の豊かさと自然環境の両方のために、以下のようなゾーニングを提案する(地図)。








できるだけ広い地域を自然保護区とし、人間の利用をコンパクトにまとめた。人間が利用する場所でも、野放図に建物や道路を造ってよいわけではなく、ここでも『負荷は集中の原則』が生きていることを忘れてはならない。



自然保護区には数段階の保護レベルがあり、ウェディング・ケーキ・マウンテンやバード・サンクチュアリのように、全く人間を入れない厳格なものから、サバナ高原のように、持続利用を認める緩いものまで色々な段階がある。

例えば、環境に配慮した有機農業などであれば、場合によっては保護地区の周辺部で許されることもあり得る。それに環境に配慮した有機農業なら、ロタ島の売りになる可能性も大きい(写真)。素晴らしい自然が特徴であるロタ島では、環境配慮は絶対条件なのだから。








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7.提案:『保護候補リスト』を作る



ゾーニングにより、できるだけ集中した土地利用をし、反対にできるだけ広い範囲の自然やランドシャフトを守る。しかしそれだけではまだ不十分だ。知らないうちに多くのかけがえのない物件が壊されてしまう危険性を払拭できない。



そこで、スイスで成功している『保護候補リスト』を提案したい。



自然、動植物、地形、地域、景観、建物、文化……などがその対象となり、保護したいと思う具体的な物件をどんどんリストアップしてしまう。例えばスイスでは、1本の大木、レンガ積みの煙突、山並み、見晴らし、森の小道、せせらぎ……などもこの保護候補リストに載る。『保護候補』リストであって、『保護』リストではないことに注目していただきたい。今までは保護リストであった。保護するためにはそれなりの調査や検証が必要で、そうすると時間とお金がかかる。つまり時間的金銭的な効率が悪い上に、検証している間にどんどん壊されてしまいかねない。そこで、『保護候補』をリストアップする。これには検証が不要だ。しかし、この保護候補リストに載っている物件を壊すようなプロジェクトが起こった場合、その施主がちゃんとした調査とその物件を守るためのミティゲーション(破壊緩和)措置を示さなければならない。



これで次世代に伝えたい大事な物が壊される危険性が著しく減るだろう。



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8.エコヴィレッジをどこに造るか



ロタ島での『アクエイリアス・プロジェクト』のひとつのテーマであるエコヴィレッジ(エコタウン)をどこに造ったらよいのだろう? 一般的には、ソンソン村に隣接させるのがよい。『集中化』によって、同じ利用面積でありながら自然環境へのインパクトが減る(それほど増えない)からだ。しかしながら、ここに大きな問題がある。実はソンソン村はロタ島の本島とウェディング・ケーキ・マウンテンを結ぶ低地にあるのだ(写真)。








地球温暖化により台風が年ごとに大型化している。ロタ島でも多くの家が吹き飛ばされ、今ではほとんどの家がコンクリート造りになってしまった。ところが別の問題がある。大型台風による高波が、ソンソン村を通り抜けるようになったのだ。まだこの被害は大きくないが、将来のことを考えると、エコヴィレッジは高台に設定したい。そこで、標高50m程のテラス状の岩盤の上のカーン地区(Caan)が注目されることになる(写真)。








もしカーン地区が、手付かずのジャングルを切り開かなければならない場所ならエコヴィレッジの建設場所としてふさわしくない。しかし、ここはタロイモやココナッツなどの農地が放棄されたすでに開けた場所だ(写真)。そんなわけで、逆にエコヴィレッジを造ることにより、環境への貢献も同時に期待できよう。








なによりその眺望が素晴らしい(写真)。ここなら私も住みたいと思う。








このカーン地区に、スイス・ドイツでは当たり前になりつつある、建築生物学(バウビオロギー)と建築生態学(バウエコロギー)(注1)を駆使した住みやすく、省エネで、環境負荷が少ない家を建てる(写真2枚)。もちろん、新たに熱帯のロタ島バージョンの開発が必要であるが、基本の考えは同じだ。










エネルギーと資源は可能な限り太陽エネルギー起源の、太陽光、太陽熱、バイオマス、風、雨水、間接熱などを有効利用し、エネルギーのキャリア(運搬)とサーバー(貯蓄)には、世界最先端の水素テクノロジーを使う予定だ。



カーン地区の22,000m2の土地に、一戸建てと2ユニット(2世帯)集合住宅を合計8棟、12ユニットほど(うち1棟2ユニットは管理オフィスと近自然学研究所)を建てる。一戸建ては常住者用、集合住宅は短期と長期滞在者用だろうか。いずれにしても、どの家からも素晴らしい眺望が堪能できる、そんな配置を考える。



このエコヴィレッジには、ハイテクとローテクを組み合わせた最先端のテクノロジーによるエネルギー・システムが導入されるので、専門知識を持ったプロによるしっかりした維持管理が不可欠だ。またそのようなサービスの提供は、エコヴィレッジの住人にとっての大きな安心にもなるだろう。



常住者や滞在者の数が安定すれば、美味しい熱帯のフルーツや新鮮な野菜などをエコヴィレッジの農園から供給することも考えられる。有機農法やパーマカルチャー(注2)を活用した、環境負荷が少なく、健康で、美味しい農産物を安定的に得られるのは大きな魅力だ。



なんともワクワクするようなプロジェクトではないか。



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9.終わりに



ひとつ注意しなければならないのは、ロタ島はチャモロ人たちの島だということ。かつてスペイン、ドイツ、日本、アメリカがやったような、さらには今中国がカジノ建設を通して目論んでいるような、いわゆる植民地化(政治経済的な意味だけではなく、文化的な意味も含めて)を繰り返してはならない。近自然の島を実現しようという今回のプロジェクトがここに住むことになる日本人たちにとって、これからの素晴らしい人生を約束してくれることは間違いないだろう。しかしそれと同時に、チャモロ人たちに豊かな生活をもたらせ、さらに彼らの新しいアイデンティティーの確立を手助けできるなら、こんなに素晴らしいことはないではないか。



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今回で私の連載コラムは終了します。長い間お付き合いしていただき、どうもありがとうございました。コラムの文章とグラフィックは、私の考えに賛同していただける限り、ご自由にお使いになって結構です。ただし、コピーライトを放棄したわけではないので、使われる場合には出所を明記してください。よろしくお願いします。



では、皆さんごきげんよう!






2006年12月13日、スイス近自然学研究所にて




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注1)建築生物学(バウビオロギー Baubiologie)と建築生態学(バウエコロギー Bauoekologie)

建築生物学(バウビオロギー)は住人の健康を重視し、建築生態学(バウエコロギー)はエコバランスを見る。エコバランスとは、エコロジカル・バランス、つまり生態的エネルギー収支という意味。建築、使用、維持、撤去、廃棄物処理などに必要とするエネルギー総量を見て、環境負荷を評価する手法だ。

建築生物学は住人の健康という抽象的なものをターゲットとしているので、数値で比較することが難しい。それに対して、建築生態学はエネルギー使用量という数値化が可能だが、生物の種の多様性や健康や気持良さなど、エネルギーの数値だけでは評価できない要素は含まれないのが難点。

この両者は、目指すところに大きな違いはないが、提唱者の視点が少々異なる。本来は、両方を考慮し、双方の良さを組み合わせることが理想だ。それにより、住人の健康を害さず、環境負荷の少ない快適な建物の建設が可能となる。





注2)パーマカルチャー

パーマネント・アグリカルチャーの略。パーマネントは『永久の』、アグリカルチャーは『農業』という意味。つまり、永続的農業、循環農法とでも訳せようか。

オーストラリアのビル・モルソンが不耕起農法を始めた日本の福岡正信氏の影響を受けて確立したと言われる。真否は不明だが、多くの共通項を持つことは確かだ。

現在一般的な農業は、肥料などの物質を外から投入し、農産物を外へ持ち出すという物質やエネルギーの一過性が基本だが、パーマカルチャーでは、物質の循環を目指す。私が連載コラム7『楽園ロタ島:ゴミは資源だ!』でお話した、物質が太陽エネルギーで循環するというこの世の基本原則を農業で実現するものと言えよう。


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2006年12月 7日

連載コラム12 楽園ロタ島:ゾーニングの重要性(前)




前回の連載コラム11では、『気持良い』をキーワードとした『ランドシャフト』を環境評価に活用してロタ島に真の楽園を創ることを提案した。
今回は、より基本的なゾーニング(土地利用法)について考えてみたい。

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1.楽園ではどこで何をしてもよいのか?

楽園には厳しい掟も厳密な規則もない。それは住民がやって良いこと良くないことを自ずから分かり当たり前のこととして守るからだ。現実のロタ島でそれを期待したらどうなるであろう? 好き勝手な所に家を建て、最も眺望のよい場所には大きなホテルが建ち、島のあちこちに港が造られ、その港の周りには工場などの大きな建物が建ち並び、あちこちに細切れの農地が開かれ、道路がジャングルを縦横に突っ切り、村のど真ん中でゴミを燃やし……など、かなりひどいカオス(渾沌状態)を想像できる。これでは楽園ロタ島の自然はアッと言う間に破壊され、多くの動植物が絶滅の危機に瀕することになるだろう。そしてそれは、最終的に島民にとって幸せに生活できる状態ではない。

どうやら(残念ながら)土地利用にある程度の原則とルール(規制)が必要なようだ。

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2.ゾーニングはどうしても必要だ

そこで重要になるのが、土地の利用法をあらかじめ決めることだ。つまり『ゾーニング』である。これは、どこの土地を何に利用するのか、または利用しないのかを、『経済と環境と住みやすさの3面から考え、最も効率的な土地の利用法』を決めることだ(写真)。
土地利用は我々の豊かな生活を実現するためだが、それが自然や環境に大きなインパクト(打撃)やダメージ(破壊、損傷、危害)を与えては、最終的には我々自身への不都合となって戻ってくる。だから、自然環境に配慮するのは、単に動植物のためだけではなく、我々の子孫も含めた我々自身のためなのだ。




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3.『負荷は集中、対策は分散』という原則

経済と環境と住みやすさの3面から考えた、最も効率的な土地の利用法』とは一体どんなものなのだろう?

我々の日常の活動や行為は、どんな物であれ必ず環境へ影響を与える。それが環境に悪い影響を与える場合もあれば、逆に良い影響を与える場合もあるだろう。(この良い悪いとは、人間にとって都合が良いか悪いかという意味。)環境に悪い影響を与える物を『環境負荷』といい、環境に良い影響を与える物を『環境対策』と言う。環境負荷は『環境破壊(ダメージまたはインパクト)』につながり、環境対策は『環境貢献』となる。

我々にとって困るのは環境負荷ではなく『環境破壊』であり、我々が求めるのは環境対策ではなく『環境貢献』の方なのだ。言葉を換えると、いくら環境負荷が大きくても、環境破壊が大きくないならそれほど悪いことではない。逆に、いくら大々的な環境対策を実行しても、それほど環境に貢献しないなら、それは自己満足に過ぎないのではないか。

そこで、『大きな負荷でも自然環境の受けるダメージがそれほど大きくないよう』に、また逆に、『できるだけ少ない対策で自然環境に大きな貢献をするよう』に考えたい。



そんなうまい話があるのか? ……あるのだ!
『我々の行為』とそれが『環境に与える影響』の関係が比例しないことを利用するのだ。ある場所で、環境負荷を増やしていくと自然環境の受けるダメージはそれほど増えなくなる。同様に、ある場所で環境対策をどんどん増やしても、環境への貢献はしだいに上がらなくなる。これが『影響/効果のS字カーブ』と呼ばれるものだ(グラフ)。



この関係はこの世の中のあらゆることに通用する、普遍的な原則のようだ。

例えば、スポーツの練習と上達の関係。
始めたては少しも上達しないように感じるが、そのうちに練習すればするほどどんどん上手くなる。しかし時と共に、同じように練習していてもしだいに上達しなくなる。
例えば、クルマの価格と性能の関係。
低価格のクルマの性能は五十歩百歩だが、その上のクラスではちょっと奮発するとずっと性能の良いクルマが手に入る。しかし、高額のクルマになると、倍くらいの価格差があってもそれほど性能が変わらない(グラフ)。
皆さんも似たような経験がおありなのではないだろうか。



環境でも同様のことが言える。人間の行為が環境へ与える影響は、行為がとても小さなうちは行為を増やしても影響が増えない。さらに行為を増やすと影響が一気に増えるが、しだいに増えなくなる。環境負荷なら汚染や破壊が増えなくなり、環境対策なら効果が上がらなくなるという意味(グラフ)。



つまり、環境負荷や環境対策には効率が最も高いピーク(山)があるのだ。このピークでは、小さな環境負荷で汚染や破壊などの大きな環境のダメージがあるので、我々にとって大変不都合な点だ。できるだけ、このポイントを避けたい。逆に、少ない環境対策で大きな効果(環境貢献)がある。つまり、費用対効果が大きいので、我々にとって好都合だ。だから、環境対策はここを目指す(グラフ)。



原則:負荷は集中、対策は分散

環境に悪い影響のある行為、つまり環境負荷を分散させると、ひとつずつのダメージはそれほど大きくなくても、それらを足し合わせた環境全体でのダメージは大変大きくなる。だから、自然にとっても我々にとっても大変不都合だ。ところが、環境負荷を同じ場所に集める(集中させる)と、環境の受けるダメージがそれほど増えない。例えば、開発行為はあちこちに分散させずに、一ヶ所に集中した方が良い。また、汚染物質などを地球環境にばらまいて分散させるのもダメ。一ヶ所に集中させておくと、対処もしやすい。
これが『負荷は集中』という意味だ。

逆に環境に良い影響のある行為、つまり環境対策は一ヶ所だけに集めて徹底的にやっても効果がそれほど上がらなくなる。つまり環境全体への貢献が上がらなくなるので損だ。ところが、ほどほどの対策をあちこちに分散させると、それぞれの効果が足し合わされて、全体としては大きな貢献が得られる。だから、とても好都合なのだ。例えば、自然保護ではある狭い地区だけを徹底的にやるより、ほどほどの保護を広い範囲にする方が良いのだ。また、日本だけがしかもCO2対策だけを徹底的にやってもダメで、世界中の国々があらゆる分野での環境対策をほどほどにやった方が、同じ投入労力、同じ消費エネルギー、同じ費用でありながら、地球環境全体への効果はずっと大きくなる。
これが『対策は分散』という意味だ。



そして、この『負荷は集中、対策は分散』原則を土地利用に応用すると、環境負荷となる市街地は集中させ、環境対策となる自然保護は広く分散させると良いことになる。



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4.人間の住む場所はコンパクトに

ここで、市街地が自然環境へ与えるインパクトについて考えてみよう。市街地は自然環境にとっては負荷となる。『負荷は集中』すると良いことを学んだ。これはどういうことなのか?

我々は豊かな生活のために土地を利用する。同じ土地を利用しながら、やり方によって、周辺の自然環境へ与えるインパクトやダメージは違ってくる。我々が必要なのは土地の広さ(面積)だ。ところが、周りの自然環境へ与えるインパクトは、土地の周辺部の長さで決まる()。



利用する面積を確保しながら、できるだけ周辺の長さを短くすればよいわけだ。市街地が一つだけの場合は丸くすれば、周囲長が最も短くなる。
では、4つの市街地がある場合はどうだろうか?(図3枚)。





4つの市街地をバラバラに分散すると、周囲へのインパクトとなる周囲長が最も長くなる。市街地を一ヶ所にまとめると周囲長は半分に減る。これが『集中化』。さらに上へ積み重ねると、さらに周囲長が減って、はじめの1/4になってしまう。これが『高密度化』。つまり、この結果が『コンパクト・シティ』である。もちろん、ロタ島に高層建築はそぐわない。だから、これは平屋をだだっ広く並べてはならないという警鐘と理解したい。

日本の首都圏などは、低密度の市街地が地平線の彼方までだらだらと広がっている。これなど集中高密度化された『コンパクト・シティ』の正反対の状態だろう。環境、経済、住みやすさの3面全てにおいて効率が悪い。日本の大都市の都市計画の問題を考えるのは今回のコラムの主旨ではない。しかし、その解決にも近自然学が使えることは言うまでもないだろう。

負荷集中の原則が重要なことは、家を建てる場合も全く同じだ。
人間の住む家も自然環境にとっての負荷となる。よって、あちこちバラバラに分散せずに、一ヶ所に集めて集中し(団地)さらに高密度化する(集合住宅)と、環境と経済の両面から良い()。もちろん住みやすさという要素も大事なので、国民性に合った適度な集中と高密度化という意味だ。



自然環境へのインパクトを減らすという環境面だけではなく、市街地や家のインフラ整備が楽で安上がりになるという経済的なメリットも大きい。つまり、住みやすい街や家が環境負荷もそれほどかけずに、しかも安価に造れるのだ。

実際に、ロタ島でもこの『負荷は集中』→『市街地は集中』という原則は守られているように見える(写真)。これはロタ島だけの特殊なことではなく、エネルギーも大型の建設機械もなかった昔は、ごく当たり前に効率の良さを求めたからだ。



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今回はゾーニングの重要性の前半として、市街地は集中させると、我々にとって都合が良いというお話をした。次回の後半では、逆に自然保護は分散させると良いということから発展して、ロタ島でのゾーニングにおける近自然学からの提案を試み、さらに、ロタ島におけるエコヴィレッジについてより具体的に考えてみよう。


2006年12月6日、スイス近自然学研究所にて

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2006年11月30日

連載コラム11 楽園ロタ島:ランドシャフトで楽園を創る









前回の連載コラム10では、その建設について(再び)議論されているカジノ・プロジェクトについてお話し、楽園ロタ島での新しい観光のあり方を提案した。今回は、ロタ島に気持よい楽園を創るために、島の自然や環境、そして構造物(市街地、道路、建物など)に対する直感的で簡単な評価法について、近自然学から提案したい。その評価の物差しとなるのが『ランドシャフト』という新しい概念だ。



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1.楽園は『気持よい』所



皆さんは『楽園』と聞くと、をどんな情景をイメージされるだろうか?

いずれにしても、静かで、きれいで、自然豊かで、居心地よく、快く、そして気持よい場所だろう。そしてそれはある特定の人だけに当てはまるのではなく、楽園に住むすべての人たちに共通のことに違いない。



楽園をヴィジョン(理想像)としたロタ島では、当然のことながら、住んで気持よい場所の実現を目指す。どうしたら、そんな素晴らしい楽園が実現できるのだろうか? 近自然学ではどんなソリューション(解決策)を用意しているのか?



そのためのツール(道具・方策)が『気持よい』をキーワードとした『ランドシャフト』なのだ。



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2.ランドシャフトとは?



ランドシャフト』とは、かつて『景観』と日本語に訳されたドイツ語だ。しかし、景観という表現は(一般的には)見た目を主に意味するので正確な訳語ではない。そこで、最近では『景域・風景・風土・情景・心象風景』などと様々な表現が使われるようになった。英語の『ランドスケープ』に相当するが、その意味するところは少々異なる(注1)。ドイツ語のランドシャフトのでは、近年のヨーロッパにおける環境・エコロジー・人間心理などに対する意識の変化に伴い、その意味が大きく変わりつつある。最先端の意味は『五感+心(感動)』だ。つまり、視・聴・嗅・味・触覚という五感で感知する事柄と、それによって我々の中で起こる感動・恐れ、好き嫌いなどの感情や心の動きを足し合わせた物のことだ。



例をあげよう。今、ロタ島の小道を散策してるとしよう(写真)。








ロタ島の素晴らしい眺望を堪能しながら歩く。珍しい小鳥との出会いにワクワクし、その愛らしい姿やさえずりを心から愛おしむ。潮の香りをはらんだそよ風に疲れた心身が癒され、柔らかい草原の小道を踏みしめる感触を一歩一歩楽しむ。そうすると、心の底から生きている歓びが湧き上がってくるだろう。



素晴らしい景色はもちろんランドシャフトの重要な要素だ。しかし、我々は景色を見ているだけではない。同時に、風の音、潮騒の音、小鳥のさえずり、場合によっては雨の音、山鳴り、雷鳴……などに耳をすます。これらの音も重要なランドシャフトだ。また若葉の香り、草花の匂い、風の香り、雨の匂い、磯や潮の香り……などを嗅ぐ。これらの匂いもランドシャフトに欠かすことができない。さらにフルーツやハーブや水や食事の味……これらもランドシャフト。そして、風が頬を撫でる感触、小道の砂利や草を踏みしめる感触、海で泳ぐ時の波の感触、食事の時の歯ごたえや舌触り、着物の肌触り……これらの感触もとても重要なランドシャフトなのだ。

以上が五感で受け取る情報だが、さらにそこから生じる我々の中での反応がある。感動、興奮、安心、愛おしさ、憐憫、恐れ、不安、畏怖、畏敬、ワクワク、イライラ、ドキドキ……などの感情だ。つまり心の動き。



つまり、これら全てを合わせた物が『ランドシャフト』なのだ。



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3.良いランドシャフトとは?



では、『良いランドシャフト注2)』とは何なのだろう?



それは『気持よい』ことである。つまり『グッド・フィーリング』だ。

もっと言うと、快い、心地よい、居心地よい、美味しい、美しい、楽しい、愉快、好き……などなど。誰しも、こんな状態が大好きだし、いつもそうありたいと願っていよう。



しかし、もしかしたら皆さんは気持よいことに、一抹の不安とある種の後ろめたさを感じてはいないだろうか。または、快楽主義(注3)と取り違えていないだろうか。快楽は快く楽しいことなので、素晴らしいのだが、快楽、それも肉体的官能的な快楽が人生における唯一の目的となる快楽主義は少々問題があるかもしれない。肉体の快楽に耽るという状態に我々はモラルからだけではない抵抗を本能的に覚えるわけだ。



『気持よい』のは、本当はとても重要なことなのだ。



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4.気持よいと……生き延びやすい!



なぜ『気持よい』のが重要なのか?



それは、『素晴らしい人生』を実現してくれると同時に『生き延びやすい』ことにつながるからだ。



それはなぜか?



我々人類はその数百万年の歴史の中で何度も危険な目に遭ったであろう。そんな危機を乗り越えれなくて消えていった人類が沢山あることも分かっている。しかし我々の祖先はその都度うまく危機を回避してきた。だから、今、我々が生きているのだ。つまり、我々には危機を敏感に察知しそれにうまく対処する能力が備わっているのだ。

地球上の他の動物たちのそれと同様に、我々の五感(視・聴・嗅・味・触覚)も危険を察知するセンサー(外界の情報を検出し伝送する器官)として発達したことが分かっている。このセンサーがとても鋭敏なので、我々は生き残ったとも言える。もちろん、危険のあるなしを危険や安全としてダイレクトに認識する場合もあるだろう。しかし、それは大きな危険の場合であって、危険がもっと小さい場合、我々はどう感じるのだろう?



それが、『気持よい・気持わるい』なのだ。



危険センサーである五感に違和感がないのが『気持よい』状態だ。これは我々が、危険が少ない、食物や水が豊富にある、健康によい、子孫が繁栄する、生き延びやすい……などを直感的本能的に察知しているという意味である。快い、心地よい、居心地よい、美しい、美味しい、愉快、好き……などもそれだ。

逆に、危険センサーである五感に違和感がある状態が『気持わるい』だ。これは我々が、危険が潜んでいる、食物や水が少ない、健康を害する、子孫が繁栄し難い、生きていく上で不都合がある、生き延び難いことなどを直感的本能的に察知してるという意味だ。不快、心地わるい、居心地わるい、醜い、不味い、不愉快、嫌い……なども同様である。



つまり、『気持よい』のはとても重要なことなので、もっと大事にしたい。








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5.良いランドシャフトと悪いランドシャフト



我々人類には危険を察知する能力が備わっていて、それは『気持よい』『気持わるい』という形になって現れることをお話した。そうすると、「『気持よい、気持わるい』は個人的な物で、人によって違う」という反論が来そうだ。確かにその通りだ。しかしながら、人類に共通する基準があることも事実らしい。私が今までスイス人、ドイツ人、日本人、アメリカ人、チャモロ人などに講演した際に確かめた経験からも、それは言えそうだ。



ここで、いくつかの写真をお見せしよう(写真8対)。皆さんは、対の写真の左右のどちらを気持よいと感じ、どちらを気持わるいと感じるのだろうか?






左のような直線道路では事故が多いことが分かっている。右の蛇行した道路は環境に配慮してるだけではなく、運転しやすい上に安全なのだ。

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右の小川の方が魚を含めた動植物が格段に多い。つまり食べ物が豊富ということ。水質浄化能力も高く、しかもローコスト。思わず入って行きたくなる。

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右の川では動植物が多く、水辺へ近づけ、水質浄化能力も高い。しかも水害に対する安全性もしっかり確保されている。

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右の混交林は下草も生えて植生が豊かだ。野生動物のエサも多い。

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右はスイスの中世の町並みを残している街。クルマは通行禁止で排ガスがなく、街に住民の生活が感じられる。

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右は交通量が少なく木陰も涼しげなロタ島の道。思わず歩きたくなるのでは?

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左の高潮堤は住民の生命財産を守るための物だ。問題は、危ない場所に人間が住むことと、住民が海と折り合いをつけて生きる知恵を失ってしまったことだろう。子どもの頃遊んだ静岡の浜が高潮堤で覆われてしまったショックから、私はいまだに立ち直ることができない。

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左は典型的な近代文明のしわ寄せであるゴミ。使われる材料や製造はすべて石油依存である上に、素材が製品の耐用年数を過ぎても自然分解しないのでゴミとなりやすい。右はチャモロの伝統的文化である丸木舟。ロタ島でとれる木を使ってマンパワー(人間の労働)で作られる。しかも壊れたら薪として利用できる。エンジンが付いていないとバカにしてはいけない。モーターボートは石油がなくなったらどうするのだろう?

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様々な国や文化の人々に、上のような写真を見せながら「Do you habe a good feeling?(気持よいですか?)」と聞いたわけだが、例外なく左の写真を「No!」と、右の写真を「Yes!」と答えた。実は私自身もそう思うのだが、恐らく、皆さんも同感なのではないだろうか。この共通性は偶然ではない。



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6.近自然学からの提案:ランドシャフトを使ってロタ島に真の楽園を創ろう!



危険に対しての感覚に関して、細かな個人差は当然あるだろうし、国や文化による違いもあるかもしれない。しかし、おおまかには全世界の全人類が似たような感覚と反応を持っているようだ。それは頭で考える理屈ではなく、誰でもが直感的本能的に感じるもので、もしかしたら遺伝子の中に何らかの形で書き込まれている可能性もある。動物は学習しなくても危険に対して正しく反応できることが分かっているからだ。

我々人類の場合、小さな危険の有無に対しては『気持よい』かどうかという形で現れる。そしてそれは同じような危機を乗り越えてきた人類が共通に持つ危険察知能力のようだ。現在の環境や気象の変化に対して、多くの人が「何かおかしい」という違和感を持っているが、これも我々の危険察知能力が警鐘を鳴らしていると理解できよう。



そこで、この誰もが持つ危険を察知する能力を活用して、自然や環境やまちを住みやすくてきれいな上に、健康で安全にしたい。つまり、『気持よい』かどうかで、自然や環境やまちを見直し、より『気持よい』方向へ改善しようというわけだ。もちろん、専門家による科学的な調査と評価が不要なわけではない。しかし、『ランドシャフトと気持よさ』による評価なら誰でも参加でき、しかもかなり正確な評価が瞬時にくだせる。誰でも参加できるので多くの人たちが参加できよう。それは広い範囲に監視の目が行き届くことを意味する。また、瞬時に評価できるということは迅速な対応が可能という意味であり、自然環境が破壊されて取り返しがつかなくなる前に対処できる可能性が高くなる。



広い範囲を緩やかに監視するのは、危機管理の鉄則ではないか(注4)。



近自然学からの提案:ランドシャフト(気持よさ)を使って環境を見直し、ロタ島に真の楽園を創ろう!



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2006年11月29日、スイス近自然学研究所にて




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注1)英語の『ランドスケープ』に相当するが、その意味するところは少々異なる

ランドスケープはアメリカで発達した学問で、当然のことながら、広大で厳しいアメリカの自然条件が強い影響を与えている。そこでは、主に都市景観を対象としていると言われる。つまり、デザイン的な意味合いが強いわけだ。

それに対して、スイス・ドイツ・オーストリアのランドシャフトは、造園学から独自に発達した景観工学に根ざし、自然も田園も都市もその対象となる。特に、近年では人間との関わりが重視されるようになった。つまり、人間がどう感じるかを考えて対処することだ。





注2)良いランドシャフト

良い悪いは我々の判断の問題だ。良いとは我々にとって都合の良いという意味。故に、良いランドシャフトとは、我々に都合の良いランドシャフトということ。





注3)快楽主義

古代ギリシアに始まった倫理学のひとつであるヘドニズムのこと。

快楽(特に、官能的な欲望の満足によって起こる快い感情)を人生の最高で唯一の目的、または唯一の善と考え、行動の原理(行動の正しさや義務の基準)とする立場、または生活態度のこと。18世紀のフランスにおける唯物論や功利主義にも通ずるだろう。

快楽のみを追い求め苦を避けようとするため、場合によっては、利己主義、功利主義などにもなり得る。故に、主義そのものは個人の自由だが、社会生活の上からは問題が生じやすいと言えよう。





注4)危機管理の鉄則

危機管理上でよくないのは、狭い範囲だけを徹底的に監視することだ。問題がそこで起こるかどうかは確率の問題でもあり、外れた場合は破滅を意味する。

むしろ広い範囲を緩やかに監視し、ある場所で何か異変らしき兆候が見付かったなら、そこを徹底的に調査する。その方が、破滅の危険性を減らせるので、好都合だ。


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2006年11月23日

連載コラム10 楽園ロタ島:未来のヴィジョンと今日のパン




楽園では働く必要がない。しかし、現実の世界では日々のパン(我々にとってはご飯か?)を得るためにそうはいかない。また、何もしないのも辛いものだろう。そこで今回のコラムでは日々の糧を得ることをテーマに、ロタ島での観光のあり方についても考えてみたい。

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1.楽園というヴィジョン

ロタ島のヴィジョン(理想像)は楽園だ。楽園ではあくせく働かなくても生きていける(らしい)。『働かざるもの喰うべからず』という厳しいオキテは、楽園には通用しない。しかしながら、我々には何も仕事をしないという状態も、ほとんど拷問に近いのかもしれない。逆に、お金のためにする仕事も虚(むな)しいではないか。理想を言えば、全ての住民が自分のやりたいことを一生懸命やって、それで社会が維持できることだ。つまり、それぞれが自らの天命と天寿を全うして生きる社会。ロタ島ではこの理想を是非実現したい。

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2.今日のパンをどうするのか?

前回の連載コラム9では、皆が自由奔放に生きても大丈夫なシステムの提案をした。それが「環境貢献プレミウム(ボーナス)と環境負荷ペナルティー」の導入だ。しかしこれだけではまだ不十分である。現在の貨幣をベースとした経済システムは早晩破綻するだろうが(注1)、ここでは、一応貨幣経済が存在するとしてお話しよう。

楽園ロタ島でも、現金収入は今のところ必要不可欠なものだ。チャモロ人の一般家庭で、月額600ドルほどが必要と言われる。この600ドルを得るために、大変な努力を強いられ、目先の利く多くのチャモロ人たちは米国本土へ移住した。そして、その代わりに低賃金でもやっていけるフィリピンなどからの外国人労働者たちが多く流入している(注2)。

問題は、ロタ島のチャモロ人たちが月に600ドルをいかに確保できるかだ。

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3.近自然学からの提案:基本給の無条件支給と楽園基金

月額600ドルを確保するために、何をすべきか?

近自然学からズバリ提案しよう。
それは、島民全員に一律600ドルの基本給を支給することだ。現状のロタ島では、月額約600ドルで生きていけると言われるので、とりあえず600ドルとしておこう。大人1人で600ドルだ。家族がいれば増やす。
これで、病気や障害などで働けなくても、なんとか生きていくことができよう。そして、もし働くなら当然収入が増えるのだが、その一部は『楽園基金』にプールされる。この「楽園基金」と前回お話した『環境基金』は同じでもよいし、別に分けてもよい。

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4.楽園ロタ島でのカジノ・プロジェクトに

今ロタ島にカジノを造ろうという話が持ち上がっている。実は今回は4回目で、今まで3回はことごとく実現しなかった。しかし、今回はどうやら様子が違う。それは、首都サイパンの隣のテニアン島に大きなカジノが造られ、風俗や治安はかなりメチャメチャらしいのだが、経済的には一応成功してるからだ。
カジノは中国人が牛耳り、その客のほとんどは中国人たちだ。私はよく知らないのだが、中国人はバクチが好きらしい。今でも「ポーカー」という看板をあげた賭場がロタ島にもあるのだが、すべて中国人の経営だ(写真)。



すでに首都サイパンの隣のテニアン島に大きなカジノが3つもあるのに、誰が好き好んで飛行便もろくない僻地のロタ島のカジノへ来るのか? 破綻は目に見えているではないか。さらに、多くの住民にとってメリットは何もないと断言できよう。経済的恩恵を受けるのは、土地を提供する地主、税金やリベートを受け取る政府と政治家、そしてそこで働く従業員だろう。ただし従業員の中にチャモロ人は1人もいないはず。それは給料が低過ぎるからだ。要職を占める中国人と雑用を請け負うフィリピン人だけの世界となるだろう。またカジノの客たちは、日系の高級ホテルには泊まらず、カジノが新たに経営するであろう安ホテルに宿泊することになろう。経営の行き詰まったホテルが何軒もあるからだ。
もちろん、これは私の想像に過ぎないが、恐らく核心は外していないはずだ。

しかも、そのカジノも数年で破産する。中国からの客が来続ける保証がないからだ。残るのは、乱れた治安、荒んだ人心、憎悪、落胆、無残に破れた夢、そして環境破壊だけだ。そんな中で数人の資産家だけはしっかりと財産を増やす。しかしながら、今でも無気力な大多数のチャモロ人たちのさらなる落ち込みようは想像に難くない。考えるだけでも心が痛むではないか。こんな厳しい試練をロタ島のチャモロ人たちは受け入れなければならないのだろうか?

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5.ロタ島での観光は無視できないが…

ロタ島の主産業は観光であり、最大の企業はゴルフ場を備える日系のホテル、ロタ・リゾートだ。その他大小のホテルが10軒、ベッド数は300ほどあるので、宿泊のインフラはすでに整っている。

現金収入のために、ロタ島では観光を無視することはできない。確かに、ロタ島の自然は素晴らしく、チャモロ人たちは親切で、治安はとてもよい。しかしながら、観光のあり方には一考を要する。日本では安いパッケージツアーが観光だと思っている人が多いようだが、これはたいへんな誤解だ。観光の基本は、本来なら行けないような場所にある桃源郷を訪ねることだ。つまり非日常性の実現なのだ。安く気軽にいつでも行けるのは本当の観光ではない。単なる移動か気晴らしの旅だ。

ロタ島へはとても行き難い。普通それはデメリットと思われがちだが、本来の観光から見れば、大きなメリットでもあるのだ。もちろん、苦労して行ってみたら大したことなかった……というのでは話にならぬ。ようやく到達したロタ島は素晴らしかった、是非また行きたい……と多くの人たちの思わせる、そんな桃源郷(楽園)を実現しなければならない。

ロタ島は一般的なパッケージツアーが組める観光地ではない。短期滞在であちこちの名所を見て買い物をする……こんな観光をイメージするなら、ロタ島の魅力は半減、いやほとんどないと言えるだろう。ロタ島に名所はないしショッピングもできない。否、できないことはないのだが、観光客を満足させリピーターを呼べるような名所やショッピング街はない。

では、ロタ島の観光はどうすれば良いのか?

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6.新しい観光の提案1:『健康を楽しむ(スポーツ、セラピー)』をテーマに

確かにロタ島の売りは美しい自然だが、スイスのアルプスやモルジブの海のように、見ているだけで飽きない、しかも何度も行きたくなる……そんなタイプの自然ではないように思う。長期滞在のために、何か特別な付加価値が必要だろう。

ロタ島にはすでに整備されたゴルフ場がある(写真)。これは是非活用したい。一方、海の透明度が高いのでダイビングも素晴らしい(らしい)(写真)。また、ロタ島一周のサイクリングや秘密の洞窟などもあるジャングルのトレッキングも是非やってみたい(写真)。ジャングルのトレッキングには、当然のことながら現地ガイドのエスコートが必要だ。有能なガイドと一緒なら、自生する草花やフルーツやハーブ、そして鳥類など豊かな動植物の説明が受けられるので、楽しみは倍増するだろう。毒ヘビがいないのも大きなメリットだ。






実は、ロタ島にプロ・テニス・プレーヤーのためのトレーニングセンターを造るプロジェクトがある。将来のプロ・プレーヤーを養成する場所でもある。暑い場所では身体の冷却効率が低いので、トレーニング効果が上がると言われる。それにプロにとって一番怖いケガも減る。

そこで、『健康を楽しむ』を観光の第一のテーマにあげたい。

楽園では、人々は健康と永遠の命を授かる。故に、楽園ロタ島では、「健康・長寿」がとてもふさわしいテーマだ。しかしながら、それを楽しみながらやりたい。なにしろ『楽』園なのだから。
テニス、ゴルフ、ダイビング、サイクリング、トレッキングなどのスポーツの他、太極拳や気功法やヨガを学ぶのもいいだろう。また、ロタ島にはノニ(注3)をはじめとした様々な薬草やハーブが自生している(写真)。これらを使った健康茶やハーブバスやマッサージなどのセラピーも考えられる。

また、豊富なフルーツや魚介類、そして自生するロタペッパーなどの数多くのハーブを活用した料理教室も面白い。また、それらを美味しく食べさせるレストランも欲しい。現状でも素晴らしいレストランがいくつかあるのだが、一般的にひどいものが多過ぎる。もっと安くて旨いレストラン、またはカフェーが欲しい。



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7.新しい観光の提案2:『環境を学ぶ(近自然学)』をテーマに

楽園ロタ島では、世界で初めての『近自然の島』を実現しようとしている。
人間の豊かさと自然環境とを両立させて、我々が豊かに健康に幸せに、しかも末長く生きていくことができる……そんな楽園を実現するのだ。そしてこの近自然の考えを、できるだけ多くに人たちに知って欲しい。また、できるだけ多くに人たちに学んで欲しい。これはロタ島や日本ばかりではなく、人類の将来にとって重要なことだ。

つまり、南の島の楽園を楽しみながら『環境を学ぶ』という新しい観光の提案だ。

その拠点となるのが、今私がこれを書いている、スイス・チューリッヒ州にある『スイス近自然学研究所』だ。ロタ島にも『ロタ近自然学研究所』をつくり、日本などから近自然学を学ぶ多くの人たちを受け入れたい。もちろん、本格的な勉強のためには数ヶ月から数年が必要だが、その核心部分を1週間から1月ほどで伝えようというわけだ。
すでに、スイス近自然学研究所では、近自然学セミナーを定期的に開いており、まだ数は少ないが日本からの留学生も受け入れている。しかし、手狭なため、新しいスイス近自然学研究所の建設プロジェクトが現在進行中だ(写真)。



ロタ島では、まず近自然学を教えるインストラクターの養成をしたい。
ここでは国際性を身に付けるために、英会話講座も開く。語学講師はすべてネイティブ(英語が母国語)であり、従来の学習法にとらわれない、新しいメソッドによる確実に上達する英会話講座を提供する。

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今回は豊かさを支える経済活動としての観光を主テーマに、ロタ島独自の新しい観光を提案した。次回は、観光にも日常生活にも重要な、ランドシャフト(注4)の重要性についてお話したい。


2006年11月22日、スイス近自然学研究所にて


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注1)貨幣をベースとした経済システムは早晩破綻する
本当はもうすでに破綻しているのだが、多くの人たちが気付かないか、認めたくないだけだ……とも言われている。アメリカ合衆国や日本など先進諸国が抱える累積赤字は返済できる見通しは全くない。企業で言えば、とっくに破産状態である。国の借金を平気で累積させていく政府には、国家経営の能力がないというのは極論だろうか?
「今までの借金はなかったことにしていただきたい」、という法律が国会を通過する日もそう遠くないと予想する。すでに米国では上の内容を含むNESARA(National Economic Security And Reformation Act)法が2000年3月に連邦議会で可決され、クリントン大統領もサインしていると言われるが、ブッシュ政権は反NESARAの立場をとり、米最高裁判所も公開を禁止しているため、詳細は不明のままだ。


注2)フィリピンなどからの外国人労働者たちが多く流入
ロタ島の公式データでは、
 チャモロ人: 1,861
 フィリピン人: 891
 アメリカ人: 54
 日本人: 36
 その他: 320
 合計: 3,162
である。フィリピン人の全人口に占める割合は30%に登る。実際には、バングラディッシュなどから、工事現場などの肉体労働者が入っているので、低賃金の外国人労働者の割合は全人口の40%近くを占め、異常な状態と言える。


注3)ノニ:Noni
学名:Morinda citrifolia(モリンダ・シトリフォリア)
和名:ヤエヤマアオキ(沖縄地方の呼び名)
熱帯から亜熱帯地方に自生するアカネ科の植物で、成長が早く、発芽から約8カ月で実を付ける。年間およそ4回花が咲き実を付け、一つの枝に完熟の実、未熟の実、花弁が同時に付くのが特徴。種は気泡を持ち水によく浮くので、島から島へと海を渡って繁殖しやすい。
ノニの実は各種ビタミンやミネラルなどを豊富に含むハーブフルーツ。その実は数週間で醗酵を始め、その醗酵液には各種酵母菌や酵素、アミノ酸、中鎖脂肪酸、ポリフェノール類など有用な成分が多く含まれる。ノニジュースは、糖尿病、高血圧、免疫力、心臓病、ガンの予防、美容や健康などに効果があると言われるが、科学的に実証された物ではない。また、その根には毒素を持つので、扱いは専門知識が必要。
ノニの育成には水はけがよく汚染のない土壌が必要で、汚染に無縁の火山島であるロタ島は良質のノニが育つ好条件が揃っている。


注4)ランドシャフト
景観・景域・風景・風土・情景・心象風景のこと。見た目だけではなく、音・匂い・味・感触、そして感動をも含む。つまり『五感+心』がテーマだ。

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2006年11月16日

連載コラム9 楽園ロタ島:自由奔放に生きる!




前回の連載コラム8では、楽園ロタ島の歴史とコミュニティ(地域社会、共同体)についてお話した。ロタ島の楽園を壊さないために、さらにロタ島をもっと楽園にするために、そのコミュニティにおいて「競争から協調への転換」を提案した。今回はその続編とでも言うべきもので、住民が自由にしかも他人に迷惑をかけずに生きることができる方策を提案したい。

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1.楽園では皆が自由奔放に生きる

ロタ島のヴィジョン(理想像)は「楽園」だ。楽園には悲惨な環境戦争も、難しいエネルギー問題も、過酷な生存競争も、そして窮屈な規制もない。皆が「自由奔放に生きる」ことができるのだ。

しかし、現実のロタ島には、環境問題もエネルギー問題もある。過当競争や厳し規則はまだないが、このまま行けば間もなく実施されることは目に見えている。そうしなければ、環境悪化を食い止めることができず、住民の生活が厳しくなることを避けられないからだ。また環境や経済の状況が厳しくなると、自分だけ生き延びようと考える者が現れて生存競争が激しくなる。今まで規則で縛らなくても自分たちでセルフ・コントロール(自己規制)できていたものが、うまくいかなくなり、より厳格な規則を必要とするようになる。

……少なくとも、そう信じられている。本当だろうか? 他に道はないのか?

ロタ島のヴィジョン(理想像)が楽園なら、環境問題もエネルギー問題も過当競争も規則も……我々の日常生活や人生を圧迫したり束縛したり窮屈にする物は何であれ、好ましくない。規則も止むを得ず採用する必要悪なのだ。

環境問題、エネルギー問題、過当競争をどう躱(かわ)したらよいのかについては、これまでのコラムでお話してきた。今回は、我々の生活を束縛する厳しい規則を不必要にする手法についてお話しよう。

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2.環境に気を使う生活は窮屈ではないか

我々には環境のことを憂い、環境に配慮して生きる自由がある。と同時に、環境に興味がなく、環境を考えないで生きる自由もあるのではないのか?
本当にそんな自由があるのだろうか? そんなことを許したら、地球はメチャメチャになってしまうのではないか?

今まで我々は「環境に配慮しない自由」を対応策なしに許してきた(注1)。その結果、地球はメチャメチャに近い状態になってしまった。このまま自然環境を壊し続けてはそう長いことは行けないだろう。

現状では……
環境に配慮しない行為は、世界中の人類や子供たちにまで迷惑をかけることになる。他人に迷惑をかける自由や権利は、誰にもない(少なくとも私は認めない)。だから、環境に配慮しない生き方はしてはいけない。人類や地球に生きる動植物への背信行為、いやもしかしたら犯罪行為とも言えるものだ。
……という論理展開となる。

しかしながら、環境配慮というと、あれをしてはいけない、これをやってはいけない、ああしろ、こうしろ……と、煩わしいこと極まりない。クルマは大気汚染が大きい、海外旅行は環境負荷が大きい、ご馳走はエネルギーを沢山使う、ゴミはリサイクルするために分別しなくてはならない、などなど……これらはほんの一例でしかない。しかも、それが時と共にどんどん変わったりして、我々の日常生活をとても窮屈にしているように思う。

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3.自由に生きるために:プレミウム(ボーナス)とペナルティー

我々は環境のために本当にそんなに窮屈に生きなければいけないのだろうか?
たまには旨い物も食べたいし、よい音楽も聞きたいではないか。しかも後ろめたさを感じながらではなくだ。もっとゆったり生きることができないのか?
いや、できるのだ!
それが、近自然学が提案する「環境貢献プレミウム(ボーナス)」と「環境負荷ペナルティー」の導入である。

人は誰でも、美しい環境の中で豊かで充実した人生を、健康で幸せな人生を送りたいと願う。しかし、豊かさの定義は人によって違う。精神的な豊かさを大事にする人もいれば、物質的な豊かさに重きを置く人もいる。だから、個人の希望によりその両方を過不足なく実現できる自由度を確保したい。
環境貢献プレミウム(ボーナス)」と「環境負荷ペナルティー」が導入されれば、その自由度はかなり大きくなる。

環境負荷は人類の共有財産である自然や環境を壊す。現状では環境負荷はタダである。壊れた自然や環境の悪影響で金銭的にも人類の健康上も莫大な損害が生じるにも関わらずだ。また、壊れた自然や環境を修復するために莫大な費用がかかるが、それらは皆が税金などの形で支払わされる。つまり、自然や環境を壊す者には費用がかからない。逆に環境に配慮する行為には費用がかかる。ビジネスでは費用が増すとコストアップになり、価格競争において大変不利になり会社などの経営を圧迫する。

これではフェアでないし、自然や環境を壊すことを奨励しているようなものではないか。これはマズイ。そこで、環境負荷行為にはペナルティーを課して抑えたい。逆に、環境に配慮した行為にはプレミウム(ボーナス)を出して支援しようというわけだ。



このシステムが導入されれば、他人に(それほど)迷惑をかけずに済む。だから、自由に生きることを認めても良いのではないか。

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4.環境貢献にはプレミウム(ボーナス)を

地球環境をこれ以上壊さず、人類がなんとか生き延びるために、環境に配慮した行為や活動や商品を増やしたい。そこで、それを行う個人・団体・企業などを心理的物理的に支援するツール(道具・手段)が「環境貢献プレミウム(ボーナス)」だ。環境に貢献する行為だけではなく、多くの人が普通にしている環境負荷行為を意識的にしない場合にも適用される。これはとても重要な間接的に環境に貢献する行為なのだから。

このプレミウムには、どんな形があるのだろう。例えば、環境に配慮した行為や活動や商品に対して、報賞金、奨励金、補助金、税金免除、ラベリング(認証制度)、表彰、名前公表などの形でバックアップすること。また、もう少し消極的な形としては、環境負荷ペナルティーが課せられないこともある。



具体的には、太陽エネルギー利用施設への補助金、環境貢献プロジェクトに対する税金免除、有機農産物のラベリング(写真)、オフィスの近くに住めば家賃の10%を援助、省エネ製品リストの公表などだ。



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5.環境負荷にはペナルティーを

環境に負荷をかける行為や活動や商品を抑えたい。そこで、それを行う個人・団体・企業などを心理的物理的に制裁するツールが「環境負荷ペナルティー」だ。環境負荷行為だけではなく、市民なら行うことが当然である環境貢献行為をしない場合にも適用される。このペナルティーは、人類の共有財産である自然環境を壊した者に課す弁償だ。生じたコストを加害者が負担することで加害者負担原則と言う。つまり、壊した者が支払えということだ。

例えば、環境に負荷をかけると思われる行為や活動や商品に対して、罰金、関税、税金増額、勧告・警告・指導、懲罰、名前公表などの形で対処することが可能だ。また、ここでも消極的なペナルティーとして、一般的な援助や手当てを出さないことも考えられる。



具体的には、ゴミの有料化(有料のゴミ袋に入れないと回収しない)(写真)、ガソリン税の増額、原子力発電による電気料金の値上げ、通勤手当・住宅手当などの支払い停止、環境負荷消費税の導入などだ。



ガソリンは燃やすと排ガスが出て大気汚染という環境負荷がある。そこで、ガソリンに対してこの環境負荷ペナルティーを適用すると、現在の価格の6〜7倍ほどになると言われる。これは原油価格の高騰とは別の話だ。それだけの料金をガソリンに払うなら、クルマやモーターボートに乗ることも自由である。

ガソリン価格がそんなに上がったら、トラック輸送など成立しなくなるではないか……という反論が来るに違いない。しかし、その通りなのだ。トラック輸送が全くなくなるわけではないが、少なくとも長距離輸送は消滅し、エネルギー効率の良く環境負荷が少ない、従ってコストの安い鉄道や船舶が取って代わる。トラック輸送は電気カーや水素カーを使っての、都市内など近距離の限られた空間での集配だけとなるだろう。

つまり、近い将来、クルマは趣味の対象となるのだ。

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6.「環境ファンド(基金)」にプールする

環境負荷ペナルティーを支払えば、環境負荷行為も許される。……そうなると、「お金持ちは何をしても良いのか?」という批判が来そうだ。そうではない。お金を払えばどんなことでも勝手気ままにしてよいわけではない。そこには自ずと社会的なコントロールとブレーキがある。また、お金持ちをお金を持っているという理由で非難することはできない(注2)。むしろ、そのお金を社会のために使ってもらおうではないか。

プレミウム(ボーナス)の財源はペナルティーから得られる。世界的に税収が減って、国や地方自治体は財政が苦しい今、これは魅力的な財源ではないか。

近自然学ではペナルティーや募金や政府などからの収入を、「環境ファンド(基金)」にプールすることを提案したい。そして必要なら、ここからプレミウム(ボーナス)を支払ったり、環境対策を支援するのだ。

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7.結論:やりたいことをやり、やりたくないことはやらないこと

誰でも、自分の豊かな人生にとって重要な物とそれほど重要ではない物があるに違いない。だから、その重要な物は手に入れ、それほど重要ではない物は放棄すれば良い。放棄と言っても、大して重要ではない物なので、全然苦にならないだろう。

例をあげよう。
Aさんは、クルマが好きで休日のドライブはどうしてもしたいが、海外旅行はそれほど必要ないし、オーディオはカーラジオで十分と言うかもしれない。またBさんは、毎年新しい流行のクツがどうしても欲しいが、クルマは全くいらないし、肉食は週一回ほどで十分だと言うかもしれない。さらにCさんは、最新のコンピューターと高速インターネットは絶対に欲しいが、電子レンジもテレビもクーラーもいらないと言うかもしれない。そしてDさんは、気心の知れた仲間と楽しむ美味しいご馳走は絶対に欲しいが、携帯電話はいらないし、住居は都市内の小さなアパートで十分と言うかもしれない。またEさんは、スキーは毎冬したいが、お酒も煙草もいらないし、自宅を仕事場してもよいと言うかもしれない。



それぞれの人が、自分の人生にとって大事な物を手に入れ、やりたいことをやる。しかし、大して重要ではない物は手にせず、やらない。もし自分の人生にとって重要な物が環境負荷が大きいなら、その負荷に見合ったペナルティーを支払ってでも手に入れ、やる。また逆に環境負荷が大きい物を放棄するなら、プレミウムを得る。それら全てを個人の自由な判断に任す。なにしろ、その人の人生の豊かさや幸せに関わることなのだから、他人にとやかく言われたくないではないか。

こうすることによって、とても開放的な社会が実現でき、自由な人生が送れるではないか。
皆さん、この考えに賛同していただけるだろうか?

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充実して幸せな人生が送れることは素晴らしい。そのために、自由、豊かさ、健康などはとても大切だ。今回は自由をテーマにお話した。次回は、豊かさに密接に関わるビジネスについて考えたい。


2006年11月15日、スイス近自然学研究所にて


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注1)「環境に配慮しない自由」を対応策なしに許してきた
今まで、人類の共有財産とも言うべき自然や環境を壊しても、弁償責任を問われなかった。
だから、環境負荷ビジネスが儲かり、競争に勝つ。環境に配慮すると経費がかさみ、競争に負けてしまう。負けて企業が倒産しては元も子もないので、勝つためになりふり構わず環境負荷ビジネスにまい進することになった。その結果、国土は荒廃し、地球の自然環境はメチャメチャに……(ほとんど)なってしまった。これはでマズイ。


注2)お金持ちをお金を持っているという理由で非難することはできない
それは持たない者の単なるやっかみかひがみかもしれない。または、イデオロギーとしての共産主義を求めていることを意味する。確かに、全ての資産は皆の共有物であるという共産主義は楽園の状態に近いとも言えよう。そして、実際にトライした人たちがいたのも事実だ。しかし、ソ連、東欧、中国、北朝鮮など、人類の歴史はその試みが理想の高さとは裏腹にひとつとして成功しなかったことを示している。どうやら、資産を持つことは、悟り切れない我々生身の人間にとって大事なことのようだ。

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2006年11月 9日

連載コラム8 楽園ロタ島:その歴史とコミュニティ




連載コラム5&6が「太陽エネルギー」、連載コラム7が「ゴミ」とヘヴィーな話題を続けてしまった。ここらで一息入れたいのだが……。もしかしたら、またヘヴィな展開になるかもしれないが、よろしくお付き合いの程を!
今回は、「友愛」を絵に描いたようなチャモロのコミュニティ(地域社会とか共同体という意味)とその背景にある歴史をテーマにお話しよう。我々がお手本にしたくなるような、素晴らしいコミュニティなのだが、そのクォリティーを保つためには、これからの発展には注意しなくてはならないこともある。

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1.楽園の住民チャモロ

ロタ島のチャモロ人たち(カロリン人たちも)は、道で出会うといつも手を挙げて「Hafa Adai !(こんにちは!)」と挨拶する。それがクルマどうしであっても、クルマと歩行者であってもだ。……と、事前に聞かされていた。それは本当だった。詳細に観察すると、全員がいつもというわけではないようだが、挨拶するのが当たり前なのはまぎれもない事実だ。「Hafa Adai」は、なんとクルマのナンバープレートにまである(写真)。



元々ロタ島には5,000人ほどのチャモロ人たちが住んでいたと想像される。ところが、17〜19世紀のスペイン恐怖政治時代に、そのほとんどが殺されたりグァム島へ強制移住させられたが、ジャングル内に200〜300人ほどが隠れ潜んだ。現在の約2,000人のチャモロ人のほとんどがその子孫であり、極端なことを言えば、全員が親戚だ。だから挨拶するのが当たり前……なのだろうか? いや、そうとは思えない。彼らの優しい心根の現れと解釈したい。

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2.楽園にも歴史がある

地上の楽園、ロタ島にも暗く悲惨な過去がある。

平和なマリアナ先史時代は少なくとも3千年、もしかしたら1万年以上も続いたと信じられている。しかし、17世紀後半から、スペイン、ドイツ、日本、アメリカと植民地・委託統治時代が350年も続いた。そして1978年、独自の自治政府とガバナー(知事)を持つアメリカ合衆国の自治領(注1)となった。だが、事実上は経済的にも文化的にもアメリカ合衆国に依存した属領と言えよう。

ロタ島の空港には、ロタ島の過去の歴史の絵物語がある(写真5枚)。





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3.平和なマリアナ先史時代

スペイン人に征服されるまで、マリアナ諸島ではかなり高い文化を持ったチャモロ人たちが独自の社会を作り平和に暮らしていた。
ロタ島に残されている石切り場跡や遺跡から、彼らが巨石を使いこなしていたことがうかがい知れる(写真)。



ジャングルに埋もれた洞窟内で、最近、推定1万年ほど昔の物と思われる動物や幾何学模様の壁画が発見された(写真)。その頃からロタ島に人が住んでいた証拠となる。



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4.恐怖のスペイン植民地時代

チャモロ人たちの性格は、350年間他民族に支配され続けた今でも、とても親切で温厚だ。17世紀当時の彼らも同様だったようで、軍船や鉄砲という近代兵器を持ったスペイン人の侵攻の前にはひとたまりもなかったことは想像にかたくない。

16世紀後半から17世紀後半にかけて、スペイン人がマリアナ諸島(グァム島を含む全マリアナ諸島のこと)を軍事的に制圧し植民地化した(注2)。

スペイン人たちは、キリスト教とスペイン語をはじめとした自分たちの文化を強要し、チャモロ人と混血した。そして現在のチャモロ人たちはとても敬けんなカトリック教徒だ(写真)。またチャモロ人の多くはスペイン姓を持ち、チャモロ語の中にも多くのスペイン語が取り込まれている。



しかしながら、スペインの恐怖政治とヨーロッパから持ち込まれた病気により、元々少なくとも50,000人ほどいたと思われる北マリアナ諸島のチャモロ人は約3,000人に激減した。ロタ島にはチャモロ人たちが5,000人ほどいたが、スペイン人の目を逃れてジャングル内に隠れ住んだ200〜300人ほどだけになってしまった。現在でも2,000人ほど(公式には1,861人)にしか復活していない。スペイン人にとって大きな意味を持っていたグァム島などと違って、ほとんど見捨てられたロタ島ではスペイン人との接触が少なく、病気のまん延が起こらなかった。今でもロタ島は病気の少ない島と言われる。

恐怖のスペイン植民地時代は230年間続き、チャモロ文化は壊滅的な打撃を被ったが、ナイフなど鋼鉄製品やキャンバス(帆)やロープなど布製品、さらには様々な農産物や家畜をもたらせた。

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5.短いドイツ統治時代

メキシコでの反乱やアメリカとの戦争で国力が疲弊したスペインは、マリアナ諸島経営への興味を失った。そこで、米西戦争時にアメリカに軍事占領されたグァム島を除く北マリアナ諸島はスペインからドイツへ売られた。北マリアナ諸島を買い取ったドイツ人たちは、船外モーターや鉄道など20世紀初頭のヨーロッパの科学技術をもたらせた。また、島々の学術調査を行い、多くの文献を残した。さらには、ココナッツオイルを生産するためにココヤシの植林をうながしたが、度々台風に襲われもくろみは成功しなかった。ドイツ統治時代は25年間と短かく、ロタ島に経済的な恩恵をほとんど与えなかったが、学術調査という意味では大きな貢献をしたと言えよう。



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6.ロタ島と太平洋戦争の傷跡

ドイツの第1次世界大戦での敗北により、グァム島を除く北マリアナ諸島は日本が国際連盟より委任され統治することになった。日本人は、ロタ島のジャングルを開墾してサトウキビ畑をつくり、港の近くに製糖工場を造って(写真)、大量の黒砂糖を日本へ輸出した。



またリン鉱石を掘り、これも日本へ輸出した。サトウキビやリン鉱石の輸送のため、ドイツ人がもたらした鉄道を本格的に敷設し、公共バスも走らせた。また、学校を造り、チャモロ人達を日本語で教育した。これらの歴史から、今のチャモロ人たちでさえ、「我々は日本人から学ぶことと働くことを教わった」と過去を懐かしむ。

太平洋戦争末期、マリアナ諸島は日米間の激戦地となった。ロタ島は軍事的に重要でなかったため、サイパン島やグァム島のような激戦地とはならなかった。米軍はこの島に上陸せず、捨て置かれた形となった。しかしながら、島のあちこちで戦争の傷跡を見ることができる(写真)。



軍事的には捨て置かれたロタ島だが、米軍の爆撃練習用の島として使われた。日本人とチャモロ人は、アメリカの猛烈な爆撃から共に逃げ惑い、ジャングルの奥深くの洞窟で暮らさなければならなかった(写真3枚)。





大きな港や空港がなく軍事的にそれほど重要でなかったロタ島での日本の統治はかなり緩やかで、民間ベースの産業が重視された。それに現在の主産業である観光を支えるのも日本人観光客だ。そんなわけで、ロタ島のチャモロ人たちの日本と日本人へのシンパシー(共感)と期待はとても強い。日本人にとってロタ島はそれほど身近な存在ではないが、ロタ島のチャモロ人たちにとって日本と日本人は、正真正銘の隣国と隣人なのだ。

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7.戦後はアメリカ委託統治から自治領に

太平洋戦争における日本の敗北により、マリアナ諸島はアメリカ合衆国の委託統治となった。そして、グァム島を除く北マリアナ諸島は1978年、アメリカ合衆国の自治領となった。アメリカは多くのお金をロタ島にももたらし、空港、病院、大学、学校(写真)、道路、港湾、発電所、公園などを造った。



また、所得の低いチャモロ人たちには、政府が住宅を無料で提供し(写真)、隔週の金曜日にはフードスタンプと呼ばれる金券を支給する(注3)。このフードスタンプによりスーパーで自由に買い物ができるのだ。これらの援助も元をたどればアメリカから来ている。



つまり、チャモロ人たちは働く必要がないのだ。まあ、それは言い過ぎだが、島民の60%が政府の役人であるロタ島では、働いているのは役所のチャモロ人かフィリピンを中心とした外国人労働者だけだ。チャモロ人たちは普通の生活のために月600ドルほどを必要とすると言われるが、一般的な月給は……なんと300ドルほど(注4)なのだ。これでは働いても食べていけないではないか。そこで、アメリカ(政府経由だが…)の援助を受けることになる。

心あるチャモロ人たちは、このアメリカの経済援助が我々をダメにしたと嘆く。中には「アメリカは我々に贅沢することと遊ぶことしか教えなかった」と厳しい言葉を投げる者もいる。事実、元々優秀なチャモロ人たちの多くは勤労意欲や向上心が薄いように見受けられる。

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8.ロタ島に残る伝統工芸

スペインの強引な植民地支配により、かつてのチャモロの宗教も風習も伝統もほとんど全て消え去ってしまった。現在、ロタ島には伝統的な音楽も舞踊も工芸も建築も祭りも伝説も……ほとんどない。悲しいことだが致し方ない。わずかに残った伝統を守り、新たな伝統を創るしかないだろう。
私がロタ島で見ることができた、工芸品などを列挙してみよう。中には素晴らしい物がある。

タネの腕輪と首飾り写真
ロタ島には沢山の熱帯の植物がある。その中には固く大きなタネを付ける物がある。そのタネにヒモを通して、ネックレス(首飾り)やブレスレット(腕輪)を作る。これらはチャモの人の間で「幸せを呼ぶ」とされている。



ヤシの葉で作ったレイ(首飾り)写真
素晴らしいできのレイだが、注文には応じるものの非売品だ。希少価値が出ていいのかもしれないが、商売っ気がないことこの上ない。



ヤシの葉を編んだカゴ類写真
現状ではまだ稚拙だが、将来への可能性を感じる。さらに技を極めて欲しい。



ヤシの葉で葺いた屋根写真
チャモロの木造建築の伝統は、残念ながら途絶えてしまった。しかし、ヤシで葺いた屋根は残った。大型台風にも耐える木造建築をチャモロ人たちが再び獲得できるかどうかは分からない。しかし屋根をヤシの葉で葺くことにより、ロタ島の家々はとてもイイカンジになる。チャモロ人の中にもこれをイイカンジと思う人達がいるようで、政府のコミュニティ&文化局でも色々試している。



丸木舟写真
荒海でも使えるようにフロート(安定浮)の付いた昔ながらの丸木舟の技術は、どうやら失われなかったようだ。これを作ることができる職人がまだいる。しかし、モーターボートの時代である現在では丸木舟の道具としての価値はないと思われているので、これを自在に操る技術が伝承されるのはとても難しい。
私が出会ったのは、兄が妹に丸木舟の操作法を特訓する光景だった。父親(実は政府のお役人)が丸木舟の製造と操船のプロで、その技術は息子に引き継がれた。どういうわけか、妹もその特殊な伝統技術に興味を持ち、オヤジさんが見守る中で、兄が妹に特訓をしていたというわけだ。単純に見える丸木舟だが、これを自在に操るのは至難のようだった。



この丸木舟の技術がチャモロ人たちの間に復活するなら、彼らの漁法は大きく変わるだろう。現在では、海岸からの投網が主なのだから(写真)。



投網がいけないというわけではなく、浜からの投網漁ばかりという単一性がまずいのだ。特定の魚、それも特定の魚齢のものばかりが狙い撃ちされる危険性がある。特に、大きな魚に喰われないように海岸付近で過ごす幼魚へのダメージが大きい。

丸木舟でリフ(サンゴ礁)の外へ出ることにより、別の魚種、より大きな魚やロブスターなどが獲れよう。漁業としても付加価値の高い商品であるし、太陽エネルギーの塊である魚の持続的有効利用という意味からも価値が大きい。

チャモロ人たちもかつては丸木舟で沖合へ出ていたに違いない。だから、丸木舟の製造や操船技術と漁法が復興することは、チャモロ文化とチャモロ・コミュニティの活性化にもなるだろう。

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9.ロタ島に残った楽園のコミュニティ

厳しい過去の歴史を背負ったチャモロ人たちだが、彼らの顔は意外に明るく、その性格も親切で温和だ。特にロタ島のチャモロ人たちはその傾向が強い。ロタ島は泥棒や犯罪の(ほとんど)ない島と言えよう。私は2週間のロタ島滞在中に、1度も警察官に出会わなかった。どこかに数人ほどいるらしいのだが、取り締まりや事故処理や逮捕などの仕事がないのだろう。

ロタ島を走るメインストリートは交通量も少なく、我々の感覚では時速100km位は楽に出せそうなのだが、制限時速は40マイル(約60km/h)だ。ネズミ取りなどないロタ島だが、みんなゆっくり走っている。急がないのだ。そんなわけで、交通事故も事実上皆無だ。



また、チャモロ人たちはとてももてなし好きで、こちらが注意しないと、破滅的なほどもてなす。チャモロの人たちと一緒に食事に行くと、他の者に食べさせようとして、自分はほとんど食べない。1人ずつに自分の皿がある場合にはいいのだが、チャモロ風料理(写真)や中華料理など、皆でシェアして食べる料理では要注意だ。私はチャモロ人の彼がいつ食べるのかじっと観察していたのだが、ほとんど無理やりすすめない限り食べないのだ。
本当に好い人たちだと思う。




チャモロ人の中には、ベーテルナッツ(和名ビンロウジ)と石灰をベーテル(和名キンマ)の葉に包んで噛んでいる人たちが結構沢山いる。元々は。虫歯を予防し、胃腸を丈夫にし、腸内の寄生虫を駆除する効果があるのだか、どうやらこれを噛むと「いい気持」になるらしいのだ。グリーンの実とグリーンの葉、そして白い石灰粉を一緒に噛むのだが、ビンロウジとタンニンの色素が口の中で真っ赤になる。ちょっと異様な色だ(写真)。



顔見知りに出会うと、「ひとつどうだ?」と勧めてくる。私はトライしなかったが、私のカミサンはすぐにトライした。どうやら、すっごく苦くて飲み込めず、ハイになるまでには至らなかったようだ。まあ、我々にとっての酒や煙草に相当するのだろうか。

ロタ島のコミュニティはいまだ壊れていない。日本の村のコミュニティも昔はこんなだったのだろうか? なんとも懐かしい……というか羨ましい状況だ。日本から飛行機でわずか3時間半の場所に、こんな楽園のコミュニティがある。この素晴らしいさが持続するような、そんな注意深い発展を望みたい。

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10.楽園のコミュニティ:競争から協調へ

これからのロタ島で最も要注意なのは、アメリカ式の自由競争システム(アメリカとて、自分が負ける状況では自由競争を讚えることはしないのだが…)の導入だろう。自由競争経済は、言葉の響きとは裏腹に「弱肉強食」「勝てば官軍」の世界だ。私は経済における完全な自由競争を認めない。少数の強者のエゴが大多数の弱者の良心を飲み込んでしまう危険性が大きいからだ。ある程度の社会的コントロールが必要と考える(注5)。

現在のロタ島では、例えば人口1,400人余りのソンソン村だけでも4軒のスーパーがある(写真)。



明らかに多過ぎで過当競争だ。4軒共リサーチしたが大同小異で、4軒もある必要性を認め得なかった。消費者にとって最も良い店が自然淘汰されて生き残るというのが自由競争の原理だ。しかし現実は、コマーシャルの巧みな所、クォリティーが低くても1円でも安い所が生き残りやすい。いずれにしても、他人を蹴落とす風潮が育まれやすく、日常生活がギスギスしがちだ。

これでは楽園のコミュニティとは呼べなくなってしまうではないか。

楽園ロタ島のコミュニティでは、「競争から協調への転換」を目指す。これらのことに注意して、今あるロタ島の楽園的コミュニティにさらに磨きをかけたい。

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環境負荷を減らそうとすると、我々の日常生活は窮屈になりがちだ。それでは楽園とは言えない。誰でも自由奔放に、勝手気ままに生きたい。では、自由奔放、勝手気ままに生きて良いのか?
……実は良いのだ!
ただし、それはやりたい放題ということではない。そこには新しいシステムの導入が必要だ。その手法について、次回はお話したい。


2006年11月8日、スイス近自然学研究所にて


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注1)独自の自治政府とガバナー(知事)を持つアメリカ自治領
自治領とは、ある国家の一部でありながら、広範囲な自治権を持った地域のこと。カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどはイギリス連邦の自治領だ。北マリアナ諸島連邦は、アメリカ合衆国の庇護下にありながら、大きな自治権を持った領土である。北マリアナ諸島連邦の人々はアメリカ合衆国のパスポートを持つが、アメリカ合衆国の州というわけではない。


注2)16世紀後半から17世紀後半にかけて、スペイン人がマリアナ諸島を軍事的に制圧し植民地化した
スペインがマリアナ諸島の領有を宣言した1565年から、スペイン=チャモロ戦争を経てマリアナ諸島全域が完全にスペインの植民地となった1695年の間のことだが、どの時点をもってスペインの征服とするのかは、意見の分かれるところ。


注3)フードスタンプと呼ばれる金券を支給
2006年9月の実績(毎月変動があるが、最近は増加傾向が顕著)で、ロタ島では83世帯に合計26,000ドルのフードスタンプが支給されている。1世帯平均で月額約310ドルの支給となる。


注4)一般的な月給は……なんと300ドルほど
より正確に言うと、ハウスメイド・農業・漁業などの分野での月給が300ドル。
労働法により、チャモロ人の最低賃金が時給3.05ドルと決められている。企業ではこの最低賃金しか支給されないのが一般的だ。それに対して、政府関係の役所では時給5ドルが最低保証される。この大きな賃金差のため、チャモロ人たちは役所で働くことを望む。さらに、役所では年間の有給休暇が就業年数により12〜24日与えられる。企業では有給休暇は普通はない。

フィリピン人などの家をもたない外国人労働者には、雇い主から部屋と食事が提供されるのが普通だ。つまり、倹約すれば月給はそのまま残る。現に、多くのフィリピン人たちは、祖国の家族に送金している。
チャモロ人たちは家やクルマの維持にお金がかかり、月300ドルでは暮らせない。一般家庭の電気代だけでも月200ドルほどかかると言われる。


注5)ある程度の社会的コントロールが必要
いわゆる部分的統制経済のこと。実際には、世界中の全ての国々が何らかの形で部分的統制経済を実践している。完全な自由競争など存在しないのだ。
問題は、誰がどの程度コントロールするのかということ。つまり方法論の問題。政府や役所に任せられるのか? 新たなコミッション(委員会)などが必要なのか?
例えば、ソンソン村にスーパーマーケットは2軒、レストランやカフェは4軒あれば十分だろう。その代わり、カメラ屋・時計屋・メガネ屋を兼ねた電器店、本屋を兼ねた文房具屋、衣料品店(すでにインド人の経営するかなりひどい店が1軒あるのだが…)などは欲しい。……そんな交通整理を誰かがすべきと考える。

PDF版

2006年11月 2日

連載コラム7 楽園ロタ島:ゴミは資源だ!








連載コラム5&6と2回続けて太陽エネルギーの有効利用についてお話した。少々難しいコラムとなっただろうか。エネルギーは我々の生活のあらゆる局面に深く関わっていながら、直接目に見えないだけに、何となく縁が薄いように感じられるようだ。バナナやエビが太陽エネルギーの塊だと言われても、ピンと来ないに違いない。しかし、バナナもエビも、そして風や雨も、紛れもなく太陽エネルギーの塊なのだ。



そこで今回は、読者の皆さんにもなじみ深いテーマを選んだ積もりだ。



前回、ロタ島のゴミ、特に建築廃材に触れた。ゴミや汚水は近代文明と現代社会が生み出した問題であり汚点だと言えよう。この問題をどう考えたら良いのか? 近自然学の視点からは、ゴミや汚水の背景にどんな世界が見えるのか? 皆さんと一緒に考えてみたい。



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1.楽園にはゴミも汚水もない



ゴミと汚水は、固形か液状かの形の違いはあるものの、我々にとって邪魔な物、使えない物のことだ。



楽園にはゴミも汚水もない(はずだ)。つまり、ゴミも汚水も出ない状態が理想だと言える。ロタ島にはゴミ収集もないし、ゴミ焼却場もない。また、汚水を流す下水道もそれを処理する汚水処理場もない。

では、ロタ島にはゴミも汚水もないのか?

それが結構盛大に出ていると思われる。現在のロタ島で一般的な使い捨てのライフスタイルからは、大量のゴミが出るのは当然。では、出たゴミはどこへ行くのか?



また、トイレはどこでも近代的な水洗だ。下水道も汚水処理場もないロタ島では、水に流された汚物はどこへ行くのだろう?

どうやら、ゴミはそのまま投棄場へ捨てられている。焼却もバクテリア分解処理もしない生のままだし、土壌や地下水汚染を防ぐための漏水止めもない素掘りのままだ(写真)。








汚水は、各家庭の地下に埋め込まれたコンクリートボックスに入り……なんと出口がない。このボックスの中で何が起こっているのか定かでないし、出口のない(見えない)のは地下浸透させているからだ(注1)。



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2.ロタ島にゴミ焼却場を造るべきか?



投棄場へ捨てられるゴミをよくよく観察すると、かなりカロリー(熱量)が高そうだ。つまり、燃やせば沢山の熱が出るという意味。では、給湯を兼ねたゴミ焼却場を造るのが良いのか? 現状ではその通りだが、ちょっと待った!「現状では…」と言ったのは、「従来のライフスタイルでは…」という意味だ。使い捨てが当たり前のアメリカ流ライフスタイルはロタ島にはそぐわない(高過ぎるし、何より住民の幸せになっていないようだ)し、石油の枯渇と価格の高騰から、遅かれ早かれ破綻して循環型のライフスタイルに変わるだろう。いや、変わらざるを得ない。そうでなければ、極端な話、島の豊富な食べ物を前にして餓死することになるからだ。



使い捨てのライフスタイルから循環型のライフスタイルへ転換すると、実はゴミの量が減り、その内容も大きく変わる。燃える物がどんどん減っていく。環境先進国と言われるスイスでは、この現象が顕著だ。ゴミが有料化(市町村によって差があるが、35ℓのゴミ袋が150〜200円程度)され、資源ゴミの分別収集(ゴミが資源になるなら、それはもうゴミではないが…)(注2)が進むと、ゴミの量は劇的に減る。また、パッキング(包装)の簡略化とリユース(再使用)(注3)などにより、燃えるゴミはさらに減る。

スイスで最大の街であるチューリッヒには2つのゴミ焼却場が市街地内に造られている(写真)。郊外に造らないのは、ゴミ焼却場が集中暖房給湯施設として機能しているからだ。つまり、ここで得られた熱を周辺の公共施設や各家庭に供給する(実は売っている)のだ。また、焼却場が市内にあると、ゴミ収集車の走行距離が減る。ばい煙処理技術が進歩した現在、焼却場を市内に作る環境的デメリットは少ない。むしろメリットが大きいという判断だ。








ところが、近年、ゴミの量が減り、さらにカロリー(熱量)が落ちて、燃え難くなる傾向が強い。そこで、チューリッヒ市では、焼却場を持たない小さな町村などからのゴミを受け入れたり(もちろん処理費を取る)、リサイクル用に集めた紙を燃料として投入している。ゴミを燃やすために重油を投入するなどもってのほかなので、苦肉の策としては致し方ないだろう(そもそも、紙の分別収集リサイクルがどうあるべきかという問題は解決していないが…)。



こういう先例があるので、ロタ島でゴミ焼却場を建設することは、あまり賢明な策とは思えない。では、ゴミ問題をどうしたら良いのか?



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3.ロタ島での下水道と汚水処理場は?



一方、汚水はどうだろう。

汚水も実はライフスタイルと深い関わりがある。しかし、ゴミのように汚物の量がライフスタイルによって大幅に変わるわけではない。例えばトイレ。かつては汲み取り式だったのが、今は水洗式が当たり前だ。水洗式になってウンチの量が増えるわけではない。いや、もしかしたらライフスタイルの変化によって不要に多量の食事を摂っているかもしれないが、まあ、それは置こう。問題は、水洗の水で汚物が薄まることだ。これによって汚水の総量が増え、しかも薄まることによってバクテリアの分解処理効率が落ちる。つまり、分解し難くなるのだ。汚物は有機分(炭素化合物という意味)が主体で、バクテリアにとっては美味しいご馳走だ。そのご馳走が薄まってしまうと、バクテリアは食事し難くなる。

しかし、だからと言って、今更かつての汲み取り式トイレに戻れるだろうか? 恐らく無理だろう。ある程度のメンテナンスが期待できるなら、水に流さずに、枯草や木片などの植物性有機物と一緒に混ぜて、その場でバクテリア分解させる手もある。スイス・アルプスの山小屋などでは実績を積んでいる。1年を通して気温の高いロタ島ではバクテリアの活動が活発なので、とても有効な方法だろう。



下水道と汚水処理場は水質浄化のため。汚水の流れ出る、川や湖、さらには海の水質を悪くしないための配慮だ。しかしながら、長大な下水道と汚水処理場を実現するなら、そのインフラ整備(建設・保守)とランニング(運転)のために膨大なエネルギーを使う(写真)。








うがった見方をすれば、水質浄化のために大量の石油エネルギーを使って大気汚染を出してるとも言えないことはない。「水質汚染を大気汚染に置き換えてるだけだ」という批判もあるのだ。

大都市ならいざ知らず、ロタ島に下水道と汚水処理場を造るのは、現実的ではない。では、どうしたら良いのか?



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4.なぜゴミや汚水が出るのか?



ゴミと汚水問題の解決策を探る前に、まず、ゴミや汚水がなぜ生じるのかを考えてみよう。



我々の生活や活動には多くの物質資源とエネルギーが使われる。しかし、使われた資源やエネルギーが消えてしまうわけではない。形が変わるだけだ。極々単純に表現するなら、「この世界では物質が太陽エネルギーによって循環している」と言えよう。エネルギーは最終的には熱の形となり、しかも均等に分散した状態へ落ち着く。これをエントロピーが高い状態と言う。そうなると、もう何も起こらない。これが永遠の静寂、つまり、死の世界だ。地球上でそんな状態を避けるためには、片や、地球に溜まった熱を宇宙空間へ捨て、片や、太陽から新たなエネルギーを得なければならない。実は、クルマのエンジンなども同じことをしている。冷却とガソリンの爆発燃焼だ。



物質が太陽エネルギーによって循環するのがこの世界だが、全ての物質が循環すればゴミは出ない()。上手く循環しないと余剰分が出る()。また、この循環の環の中に新たな物質(地下資源など)を大量に追加投入すると、全ての物質が循環できず多くの余剰分が出る()。これらの余剰分がゴミであり汚水なのだ。もちろん、いくら努力しても物質の100%が循環できるわけではないので、それを補う物質の追加は必要だ。それが多過ぎるのが問題なのだ。












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5.ゴミや汚水は資源なのだ!



循環しない物質がゴミや汚水になることをお話した。

これは、物質を循環させればゴミは出ないことを意味する。逆に言えば、ゴミが出ないようにすると物質は循環することになる。



ゴミや汚水は資源であり、再利用したい。

しかしながら、出たゴミを資源として再利用すること(つまり再循環させること)より、ゴミが出ないように配慮することの方が、実は重要なのだ。それはライフスタイルや社会システムの転換を意味する。そして、それが実現した社会を循環社会(循環型社会)と言う。



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6.循環社会にはゴミも汚水もない



循環社会では、ゴミも汚水もない。(いや、実際にはあるのだが、ごくわずかだ。)ここで、連載コラム4「楽園ロタ島:清水と旨い食物」の章でお話した、資源利用に関する優先順位の原則を再確認しよう。



 1)リデュース:使用量の減量

 2)リユース:物の再使用

 3)リサイクル:資源の再生利用



不要な物やそれほど重要ではない物は、「製造させない、流通させない、消費しない」。これが、リデュース(使用量の減量)で、最も大事なことだ。



まだまだ使える物は、新たな使用法を考えたり、他人に譲ったりして、何度も使う。これが、リユース(物の再使用)。兄のお古の玩具を弟がもらって使ったり、お母さんの和服を娘が着たり、クルマや電気製品などを中古品として販売するのがこのリユースだ。品質が良いほど、何度もリユースできるので、安物の大量生産から良い物の少量生産へ、経済活動は大きく転換することになる。



最後にリサイクル(資源の再生利用)が来る。リサイクルは環境のためという意味もあるが、むしろ、枯渇資源の温存が主目的と解釈したい。つまり、エネルギーを投入しても枯渇資源を温存するという意味だ。もちろん、物によっては地下から掘り出して精練・加工するより、ずっと少ないエネルギーで済む場合も多い。アルミなどはリサイクル製品のクォリティーが落ちがちだが(ボロボロになる)、不純物を取り除くなどして次第に改善されつつある。



日本ではリサイクルが注目されがちだが、実は、リユースの方が重要である。(いや、最も重要なのはリデュースだ!)それは、エネルギー投入量がずっと少ないからだ。「リサイクルするからどんどん使い捨てして良い」などと考えるのは飛んでもないことなのだ。



リデュース、リユース、リサイクルを「3R」と呼ぶ(注4)。これらがうまく機能するとゴミは極端に減る。さらに、有機物の燃料や肥料としての最終利用も進むと、ゴミはほとんどなくなる。これが、資源をムダにしない循環社会だ。



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7.楽園ロタ島にはゴミも汚水もなくなる



ロタ島では循環社会の実現を目指したい。そうすれば、我々にとって有用なエネルギーも資源も徹底的に有効利用することになり、ゴミや汚水は極端に減るはずだ。本当はゴミや汚水は出るのだが、それを資源として再利用するので、ゴミにも汚水にもならないわけだ。



具体的には何をすれば良いのか?



 ・食材はロタ島やマリアナ産を優先する

 ・衣類もロタ島やマリアナ産を優先する

 ・建材や家具はロタ島産の木材や自然材で無処理・無加工を優先する

 ・どんなものでも余計なものは買わない:生産させない、流通させない

 ・安物の使い捨ては止める

 ・一時的には高価でも良い物を買う

 ・良い物を慈しみながら使い、壊れたら修理してさらに使う

 ・まだまだ使える家具や電気製品などは、他人に譲ってリユースする

 (リユース・ビジネスは将来有望)

 ・買い物には自分の手提げ袋を持って行き、過剰包装は断る

 ・スーパーでは発泡スチロールのパックや冷凍物を買わない

 ・あらかじめ小分けパックされたものは買わず、大きなパックを家庭で小分けして使う

 ・塩ビのラップやアルミホイールはできるだけ使わない:紙のラップがある

 ・ラップを使う場合は何度もリユースする

 ・生ゴミはコンポスト化して肥料として利用する

 ・残飯は塩分が多いので別にして、ブタのエサにする

 ・ビールや清涼飲料はペットボトルやアルミ缶を止めてビン入りにする

 ・ガラスビンは洗浄して何度もリユースする

 ・紙は裏側もメモ用紙としてリユースする

 ・紙ナプキンは汚れた食器をぬぐってから捨てる

 ・減らす努力をした上で出たゴミは、枯渇資源の場合はリサイクルする

 ・木材・紙などの再生資源の場合は燃料かコンポストとして利用する

 ・汚れのひどくない水は下水に流さずに、観葉植物や庭に散水する

 ・汚水はバクテリア分解による簡易処理の後、ため池などでワンクッションおき、水性植物を生やし、魚を飼う



などなど……



意外に簡単なことばかりだとお気付きになったのではないだろうか。これらの簡単なことを日常生活で当たり前に実践していけば、ロタ島のゴミも汚水も劇的に減るだろう。こんなに簡単にゴミや汚水から解放されるのだから、やらない手はない。それには一人一人の心がけと実践が決め手なのだ。



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ゴミ(汚水も)問題と言うと、出たゴミをどう始末しようかと考えがちだが、ゴミが出ないようにすることの方が重要だ。ゴミが出るということは、我々の貴重な資源をムダにしていることで、とてももったいない。

我々の目指すゴミのない循環社会は、資源をムダにしない社会のことである。そしてそれは窮屈な毎日ではなく、我々の人生の質を上げてくれる本当の意味で豊かな社会のことなのだ。






2006年11月1日、スイス近自然学研究所にて




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注1汚水は……地下浸透させている

ロタ島最大の企業でもある日系のロタリゾートホテルでは、ホテル内で出る汚水を敷地内にある処理場でバクテリア分解処理し、さらにその処理水をゴルフ場の散水に利用している。中々上手いシステムと言えよう。





注2資源ゴミの分別収集

スイスでの資源ゴミの収集法は、市町村ごとに異なる。しかも、時代と共に変化している。私の住んでいるチューリッヒ郊外の村での現状は以下だ。



常設の分別収集所へ持って行く物:

古着、ワインボトル(洗ってリユースする)、ガラス(透明、緑、茶)、缶、小金属(どんな金属も混ぜて良い)、大金属、発泡スチロール、植物性廃油、鉱物性廃油、動物の死骸(冷蔵庫がある)、塗料・毒物(有料)



毎週1回だけ分別収集所へ持って行く物:

粗大ゴミ(有料:1kg約40円)



月1回回収する物:

紙、段ボール



週1回回収する物:

枝や葉などの植物のゴミ(台所の生ゴミはダメ)



お店へ持って行く物:

バッテリー、ペットボトル、薬



自分で処理する物:

生ゴミ(コンポスト化)





注3パッキング(包装)の簡略化とリユース(再使用)

スイス・ドイツでは、「贈り物だから包んでください」と言わない限り、包装はしないのが普通だ。

パッキング(包装)のリユース(再使用)とは、タマゴのトレイなどが有名。また、郵送用の既製のボックスがある。通信販売などで、製品を注文すると、いくつかの小物をそのボックスに入れて送ってくる。受け取ると、中身だけを出し、ボックスは配達人や郵便局へ返却する。そうやってボックスを何度も使うわけだ。フタも簡単に開閉できるので、梱包と開梱の手間も省ける。





注4リデュース、リユース、リサイクルを「3R」と呼ぶ

リデュース(Reduce)、リユース(Reuse)、リサイクル(Recycle)。ロングライフ(Long Life)を加えて、「3R+L」と呼ぶこともある。

さらには、リフューズ(Refuse:例えば過剰包装などを「拒否する・断る」)、リペア(Repaire:修理する)、リフォーム(Reform:改善・改良する)、リターン(Return:元へ戻る)などを加えることもある。

「リ」が付く単語が並んでいるが、これは偶然ではない。「Re」とは「再び」という意味で、資源に関して考える場合、とても重要なことなのだ。


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2006年10月26日

連載コラム6 楽園ロタ島:太陽の恵みを活かす(後)



連載コラム5「楽園ロタ島:太陽の恵みを活かす(前)」からのつづきである。
十分にある太陽の恵みだが、あるだけではダメで、上手く利用したい。そこで今回は太陽エネルギーをどう利用したら良いのか、ロタ島にフォーカスしてお話しよう。

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6.ロタ島での水素エネルギー

ロタ島には太陽エネルギーが十分にある。しかし、その持続的有効利用のためには守らなければならないいくつかの原則がある。

前回お話したように、太陽エネルギー(分散性)の有効利用のためには、石油など(集中性)と同じやり方ではダメなのだ。つまり、頭の切り替えと、全く違うテクノロジー(科学技術)が必要となる。にもかかわらず、今まで通りの(従って石油のための)やり方で押し通そうとすると、いずれ破綻する。それは自然の摂理に反するからだ。

ロタ島は世界最先端のテクノロジーによる、水素をエネルギー・ベースとする「水素の島」を目指している(注17)。これはどういうことなのか?

ロタ島に無尽蔵の水素があるわけではない。と言うより、宇宙で最も多量にある水素だが、大気の上層部以外には、地球上では単体ではほとんど存在しないのだ。しかし、酸素と結合した水(H2O)や、炭素と結合した炭化水素化合物(CH、CH2、CH3などの高分子:動植物など有機物の体を作り、石油や天然ガスの主成分でもある)の形では沢山ある。そこで、何らかの方法で水素を造り出さなければならない。その場合、水素はエネルギー源と言うより、エネルギーを運ぶ「キャリア」であり、貯蓄する「サーバー」なのだ。現状では水素を石油などから造ったり、水の電気分解などから得るわけだ。最終的にはこの水素を太陽光・風力・水力・バイオマスなどの太陽エネルギー起源のエネルギーを利用して造り出したい。つまり、色々な形の太陽エネルギーを水素の中に化学エネルギーとして溜め込むわけだ。化学エネルギーは密度の高い集中エネルギーなので、我々が使い慣れた石油やガスなどと同様の使い方ができ、とても便利だ。

しかし、エネルギーの形を変える(太陽エネルギーから水素エネルギーへエネルギー変換する)とロス(損失)が避けられない。故に、太陽光・太陽熱・間接熱・風・水・バイオマス(生物資源)などの太陽エネルギーを直接利用することをまず第一に考え、余剰分を水素へ貯蓄するようなシステムを構築したい。そうすれば、ロスを最小限にとどめることができる。

太陽エネルギーは水素ガスの塊である太陽での核融合エネルギーだ。その水素の核エネルギーを地球上で水素を使って運び溜める。これは筋の通った素晴らしいアイデアではないだろうか。

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7.「脱石油」の意味

現代社会でのひとつの理想は、フランス革命で標榜された「自由・平等・友愛」であろう(写真)。何かに依存している状態は不自由だ。現代の我々の生活はどっぷりと石油に漬かり、事実上石油に依存している。つまり自由ではない。また、石油は地球に偏在しており、それを持つ者と持たない者との格差は大きい。つまり不平等だ。さらに、石油を原因とした戦争や紛争が頻発していることはご承知の通り。友愛からはほど遠い。「脱石油」はそんな状態から脱し、「自由・平等・友愛」の実現をバックアップしてくれるはずだ。



石油の枯渇まで50年を切ったと言われる(注18)。石油と石油製品、さらには石油を使って作られる物や行為の価格は上がる一方だ。ロタ島では、100%輸入の重油で発電される電気料金が2006年8月から従来の2倍に値上げされた。そのため、多くの店舗では経費節約のためにエアコンも照明も切っているのが普通だ(写真)。



集中性という性質のために、エネルギーや資源として大変使いやすい石油だが、二酸化炭素(CO2)の排出問題などの環境負荷が大きい上に、間もなく使えなくなってしまうのでは致し方ない。できるだけ早く脱石油したい。

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8.脱石油はどう実現するのか?

では、脱石油のためには何をしたら良いのか?
まず、その場にあるエネルギーと資源を使おうではないか。その場にある物を使うことは、環境負荷が小さく、安く、そして新たな雇用を作り出せる可能性も大きい。色々な意味でメリットがあるのだ。
存在する物を徹底的に利用した上で、それでもエネルギーや資源が不足するなら、石油を使う。そんな姿勢で新たな利用システムを構築したい。(もちろん、島内にない石油を輸入するためには、観光などを含めて島内のニーズを越える生産を持つ何らかの産業が必要となる。)そうすれば、極端な石油依存から解放され、石油価格の上下に一喜一憂することもない。また、人類にとって有用な資源でもある石油の枯渇をずっと先へ延ばせるではないか。

その場にあるエネルギーと資源とは、再生エネルギー再生資源注19 )のことだ。「再生」とは使っても使っても新たに生じるという意味。再生エネルギーは、太陽エネルギーに地熱と潮汐を加えた物のことだが(注20)、実際には全再生エネルギーのうちの99.97%が太陽エネルギーだと言われる()(注21)。



つまり、火山地帯で地熱や温泉が豊富にある場所は例外として、一般的には太陽エネルギー起源のエネルギーである、太陽光・太陽熱・間接熱・風・水・バイオマス(生物資源)などを徹底的に利用することが肝要だ。そして、これらの中でバイオマスと水は唯一の資源でもある。つまり形のある物質資源ということ。故に、バイオマスと水の資源としての持続的な有効利用を考えることが、とても重要だ。

太陽の恵みであるバイオマスは、我々が利用しなくても成長し朽ちていく。我々がバイオマスを利用しなければ、その分、石油の消費量がどこかで増えていると言える。つまり、バイオマスの徹底利用とは、石油の消費量を間接的に減らすことなのだ。

特に森林資源では、まず大きく繁った立ち木のままの利用を考えよう。特にロタ島のように暑い場所では、涼をもたらす緑陰としての利用はとても重要だ。そして、木々の繁る素晴らしい風景を楽しみ、安らぎや冒険の場として、酸素製造やCO2固定工場(!?)として、さらには生き物の住み処として利用する。



木々を伐採した後は、まず大きな丸太を建築に使う。そして、家具、道具、玩具、紙と、次第に小さく細かくして、同じ材木を何度も利用する。これをカスケード利用(段階的利用)と言う()。



丸太から紙まではリユース(物の再使用)を繰り返す。つまり、何度も使い回すのだ。1度リユースすれば木材資源が2倍、2度リユースすれば3倍、3度リユースすれば木材資源が4倍に増えたことと同じ意味となる。つまり、リユースによって実質的な資源の量をどんどん増やせ、同時に石油エネルギーの使用量を間接的に減らせるのだ。(実は、水も同様である。)
紙のリユースとは、使用済みオフィス用紙の裏側をもう一度メモなどの用途に使ったり、新聞紙を断熱材などに使うことだ。かつて、弁当箱を新聞紙で包んだのは、新聞紙の断熱効果を利用したリユースの典型だった(…はずだ!?)。

しかしながら、紙のリサイクル(資源の再生利用)は要注意だ。森林資源はどんどん再生する資源であり、そんな再生資源のリサイクル(多くのエネルギーを投入する)に対して、私は懐疑的だ。森林資源をカスケード利用する社会システムができれば自ずと縮小するだろう(注22)。最後は燃料として燃やすかコンポスト化して肥料として利用して、木材利用のワンサイクルを終える。



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9.脱石油とは「衣エネルギー資源の自立」のこと

これまでに、脱石油とは太陽エネルギーとバイオマス・水資源を持続的にしかも徹底的に利用することだとお話した。これは、言葉を換えれば、「衣・食・住・水・エネルギー・資源の自立」のことだ。

つまり、ロタ島で目指すのはこの「衣・食・住・水・エネルギー・資源の自立」だ。これらの要素をできるだけ島内で調達・生産・加工したい。やるだけやって、不足分を輸入する。少なくとも、輸入が止まっても日常生活に大きな支障が出ないレベルにまで持っていきたい。

そこで、ロタ島でまずやるべきなのは、太陽光・太陽熱・間接熱・風・水の持続的徹底利用とバイオマス(生物資源)の生産と獲得、つまり「農林水産業の見直し(狩猟も含む)」だ。



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10.バイオマス生産としての農林水産業

石油はエネルギーであると同時に資源でもある。つまり、物質としても利用することが可能なので、とても便利で有用だ。一方、太陽エネルギー起源のエネルギーの中では、バイオマスと水が唯一の物質資源である。つまり、この2つはエネルギーとしてだけではなく、資源としての持続的で徹底的な利用も考えたい()。ロタ島には本格的な川がないので、水は飲料水など、資源としての利用が主となる。



特にバイオマスの有効利用で大事なのは、農林水産業だ。農林水産業は太陽の恵みである(従ってタダの)バイオマス(農産物、森林、魚介類など)を我々のマンパワー(頭・手・肉体など人間の労働力)を使って付加価値を上げて売るなりわいだ。いや、元々はそうだった。いつの間にか我々は農林水産業に大量の石油を使っている。農薬、化学肥料、大型トラクター(写真)、大規模潅漑、大型漁船による遠洋漁業、生産物の長距離輸送、輸出入などがそれだ。



石油の投入を全くゼロにすることはできないし、またその必要もない。しかしながら、農林水産業の原点に戻ってゼロからの見直しをするなら(注23)、ムダな石油の投入をずいぶん減らせることに気付くだろう。

新しい農林水産業では、以下の基本原則を守りたい。

 1)太陽の恵み(太陽エネルギー)を最大限に利用する
 2)石油エネルギーと地下資源の投入はできるだけ抑える
 3)マンパワー(人間の労働力)で大きな付加価値を付ける
 4)余計な労働や経費の投入は避ける
 5)所得と利益を増やすために不要な支出を減らす
 6)売上と収入を増やすための生産増大は環境負荷と支出が増すのでダメ
 7)石油の枯渇する50年後の将来を見越したシナリオを考える
 8)生産者と消費者の幸せに結びつかなければダメ
 9)気持良いランドシャフト(素晴らしい景観など)に配慮する

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11.ロタ島の農林水産業を興す

極端なことを言えば、ロタ島にはちゃんとした農業も林業も漁業も存在しない(写真)。つまり、太陽の恵みであるバイオマスを有効利用していないと言えよう。石油依存からの自立を目指すなら、第一にこの点を見直したい。



まずどこで何が可能なのかをリサーチすることから始める。

 *農業が営める平地があるのか?
 *水は?
 *どんな作物が気候や土地に適しているのか?
 *島内のニーズ(島民の求める物)は?

 *林業に使える木々はあるのか?
 *その持続利用は可能か?
 *島のニーズに合うのか?
 *大木がない場合、島内でラミネート(薄板を集めた集成材)の製造は可能か?

 *島の周辺の漁業資源は、どこに何があるのか?
 *十分な余裕をみて、その持続利用は?
 *島内のニーズは?

 *シカやヤシガニはどれくらい棲むのか?
 *その持続利用は?

島のニーズもリサーチするが、今までのライフスタイルが将来も続くとは限らないので、要注意だ。次に、上の可能性を実現するために何をしなければならないのか、どんなノウハウとどれほどの資金が必要なのかを検討する。そしてそのノウハウや資金を提供できる個人や団体を探す。もちろん、島内や国内に見付かれば最高なのだが。



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12.ロタ島でのライフスタイルを転換する

太陽エネルギーの有効利用は「脱石油」のことであり、それは「衣・食・住・水・エネルギー・資源の自立」を意味するとお話した。そのためには、ロタ島の「農林水産業の見直し」が重要なこと、さらには「ライフスタイルの転換」が不可欠であることも述べた。

*循環社会を目指す:
農業は家庭菜園など個人でできるレベルの物もあるが、本格的なものは島全体、さらには国全体でやる大きなプロジェクトとなる。林業も漁業も同様だ。
それに対して、「使い捨てから持続へ」のライフスタイルの転換は個人レベルで実現しなくてはならない。と言うより、政府などから「ああしろ、こうしろ!」と命令されたくないではないか。現状では、衣料はほぼ100%輸入、食料も建材も大部分が輸入だ。もちろんクルマも電気製品もそれを動かすためのエネルギーも100%輸入だ。そして、最後は大量のゴミを出す。理想は、島で生産された物で生活し、それが島に還元すること。つまり循環社会だ。

*ライフスタイルの転換とは昔へ戻ることではない:
「使い捨てから持続へ」のライフスタイルの転換は、昔の生活へ戻ることではない。もちろん、それが自らの幸せに結びつくなら、個人個人で判断してライフスタイルを昔風に戻すことに問題はない。私がイメージするのは、近代的で豊かな生活(もちろん、その内容については考え直さなければいけないが…)を実現しながら、石油依存から脱することなのだ。

*環境配慮とは窮屈な生活のことではない:
あれをしてはいけない、これをしてはいけない……と禁止だらけの環境配慮を避けたい。誰でも窮屈な人生は面白くないではないか。個人個人が自分の幸せや充実した人生のために何が必要で何がそれほど重要でないかを考え、大して重要でない物や行為を止めればいいのだ。
ある人は、クルマは不要だが、年1回の海外旅行はしたいと思い、またある人は、肉食は必要ないが、流行のクツは欲しいと願うかもしれない。そんな自由は何とか確保したい。

*環境負荷ペナルティーと環境貢献プレミウム:
その代わり、環境負荷の程度に応じてペナルティー(税金など)を課す。これを「環境負荷ペナルティー」と言う。また反対に、環境貢献に対してはプレミウム(補助金など)を出してバックアップしたい。これを「環境貢献プレミウム」と言う。
これらについては、いつか改めてお話したい。

*コンクリート造りの家について:
今のロタ島の住まいは、大型台風の頻発もあり、ほとんどがコンクリートかコンクリート製ブロックで建てられている。これらは通気性が悪く、昼夜を通してエアコンなしでは生活できない。また、自然光が入らないので、昼間でも照明が必要だ。さらに、コンクリートの家は建て替えの時の取り壊しが大変で、しかも大量のゴミが生じるので、結局、廃虚として放置される例があとを絶たない(写真)。



現状では、コンクリートの家は三重のマイナスポイントとなる。まず、島外から建設材料を輸入しなければならないのがまず第1点。現状のコンクリートの家は風通しと採光が悪く、昼夜を通してエアコンや照明を必要とするので、エネルギー消費量が大きく経費がかかるのが第2点。そして、建て替えの際にリユースができず、廃棄物が大量に生じ、その処理にエネルギーとお金がかかるのが第3のマイナスポイントだ。

ロタ島でのコンクリートやコンクリート製ブロックの家を全く否定するわけではないが、新しい建築材料を使うなら、新しい考え方と設計が不可欠なのだ。つまり、ロタ島の熱帯の小島という条件に配慮した、いや、最大限に利用した使いこなしだ。ただ単に材料を、今までの木材からコンクリートに変えただけでは、様々な問題を抱え込むことになるのは自明だろう。

確かに大型台風でも吹き飛ばされない家は重要だ。そして、そのために100%輸入に頼っているコンクリートが建材として最も相応しいなら、それを使うことも止むを得ない。しかし、少なくとも通風と採光には配慮したい。

*新しい考えのエアコンの提案:
また、盛大に電気エネルギーを使い( 注24)、騒音や振動も大きく、しかもそれほど快適ではないエアコンは、根本から考え直したい。涼しい家の基本は、まず緑陰、そして通風だ。さらに、大地や水の持つ間接熱の一種である冷熱を上手く利用した、省エネで快適な新時代のエアコンのアイデアもある。



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建築に絡んでゴミの話が出たので、次回は「ゴミ」についてお話したい。

2006年10月19日、スイス近自然学研究所にて


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注17)水素をエネルギー・ベースとする「水素の島」を目指している
詳しくは、この連山サイトで、水素触媒に関する世界的権威である市川勝氏(北大名誉教授)による「市川システムと水素文明」と題したコラムが予定されているので、そちらをごらんいただきたい。

注18)石油の枯渇まで50年を切ったと言われる
枯渇という表現は、実は正しくない。石油がなくなってしまうわけではない。事実、公表される枯渇年数は延びる傾向がある。新たに油田が発見されて埋蔵量が増えたり、技術の進歩で採掘が可能となることもある。さらに、原油価格の高騰で、投入エネルギーが多少多くても採算が採れるようになることもある。
しかしながら、これらには限界がある。採掘に投入するエネルギー量がそれによって得られる石油エネルギーの量より大きくなる時点だ。これは、経済からではなく、エネルギー収支から採算が採れなくなるという意味だ。つまり、いくら石油が存在していても使えないのだ。
現時点での可採年数が確認埋蔵量と生産量から計算でき、OPEC諸国で84年、非OPEC諸国で25年、合計すると49年となる(Oil & Gas Journal, 2005年末)。

注19)再生エネルギーと再生資源
ヨーロッパでは再生可能エネルギー(リニューアブル・エナジー)・再生可能資源(リニューアブル・リソース)と言うのが一般的。日本では最近、「自然」エネルギー、または「新」エネルギーという呼称があるが、石油も自然なエネルギーであり、太陽エネルギーは人類にとって最も古いエネルギーである。これらの呼称は誤解を生みやすい上に、日本でしか通用しないので、私のコラムでは使わない。

注20)再生エネルギーは、太陽エネルギーに地熱と潮汐を加えた物のこと
地熱は地球内部からの熱で、太陽熱によって暖められた間接熱とは違う。潮汐(ちょうせき)は地球と月との引力で生じる。つまり、この2つは太陽エネルギーとは無関係だ。潮汐エネルギーは、潮の満ち干での海水面の高さの差をエネルギーとして利用することだ。

注21)全再生エネルギーのうちの99.97%が太陽エネルギー
参考文献:「人間生活とエネルギー」押田勇、1985年、岩波新書、P146

注22)森林資源をカスケード利用する社会システムができれば自ずと縮小する
紙のリサイクルは、エネルギー投入量がバカにならない上に、紙のセルロース(木質繊維)が細かく砕かれて、使えるのは半分程度しかないとも言われる。残りは残渣、つまりヘドロだ。また、良質の紙にするためには環境負荷の無視できないブリーチ(漂白剤)やバインダー(接着剤)が必要となる。
多くの輸入材がジャングル(熱帯降雨林、または熱帯の密林のことで、動植物種が大変多様で豊富なため、エコロジーから大きな意味を持つ)の不法伐採による現状では、紙のリサイクルはジャングル保護の意味がある。しかし、FSCなどジャングル保護を目的としたラベリング(有機野菜、環境共生木材、環境配慮漁業など、特定の条件を満たしたものに与えられる認定証のこと)が普及すれば、リサイクルの意味を失う。最終的には、紙のリサイクルは、漂白しないトイレットペイパー、断熱材、梱包材などに限られることになろう。

注23)原点に戻ってゼロからの見直しをする
我々は往々にして一部分の具体的な改良や変更に終始しがちだ。それでは根本的な問題解決とはならない。そんなやり方を「ハシゴ段のつぎ足し」と言う。時代にそぐわないツギハギだらけの古いシステムはいずれ破綻する。新たな目的のためには、全く新しいシステムが必要かもしれない。そこで、具体的で現実的な細かい部分へのこだわりから一旦離れて距離を置き、原点に戻ってゼロから新たなシステムを構築してみると良い。思わぬ解決策が生まれ、それは意外に単純な物である可能性も大きい。それを実行するかどうかは、その後の問題だ。

注24)盛大に電気エネルギーを使い
電気製品などが使うエネルギーの総量は、瞬間的な消費電力とそれをどれだけの時間継続して使ったかによって決まる。つまり、「消費電力(kW)×継続時間(h)=電力量(kWh)」が重要なのだ。
瞬間的に大きな電力を使うのは、電子レンジ、エアコン、電気ストーブ、電気炊飯器、トースターなどだ。しかしながら、継続して使う時間はエアコンがダントツとなり、従ってエアコンのエネルギー消費量は他を圧する。(実は、電気ストーブもエネルギー消費量が多いのだが、ロタ島では問題外。)
逆に、瞬間的にはそれほどの電力を使わなくても、長い時間使われると、最終的に大きなエネルギーを使うことになる。電気炊飯器を1日中保温状態にしたり、カラーテレビやオーディオ装置をスタンバイモードにしておくと、少しずつだか、最終的には塵も積もれば山となるのである。

PDF版

2006年10月15日

連載コラム5 楽園ロタ島:太陽の恵みを活かす(前)









キラキラ輝く太陽はロタ島の宝!

さんさんと降り注ぐ陽の光に心が解放されて気持が良いのは、太陽が我々の命をはぐくんでくれていると、無意識に感じているからだろうか。太陽の光や熱によって、風がそよぎ、大気や海や大地が暖められ、植物や動物たちが大きく育つ。そんな太陽の恵みを受けて育った旨い食物について、前回の連載コラム4「楽園ロタ島:清水と旨い食物」ではご紹介し、「食の自立」を目指そうと提案した。

そしてそれが「太陽エネルギーの有効利用」と「脱石油」につながるというお話をした。なにやら「風が吹けば桶屋が儲かる」的な展開と感じられたであろうか? そこで、今回、エネルギーについてさらに詳しくご説明しよう。



少々長くなるので、前後2回に分けることにする。



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1.太陽エネルギーとは



そもそも、太陽エネルギーとは何なのか?



地球から約1億5千万キロメートル(149,600,000km)離れた太陽系の中心にある恒星が太陽だ()。巨大な水素ガスの塊で、その重さのために高圧高温になり核融合(注1)を起こしている。太陽は核融合の際に膨大なエネルギーを出し(注2)、それが光や電磁波などの形で宇宙へ放射され、地球へも降り注ぐ(注3)。これが太陽エネルギーだ。








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2.太陽エネルギーは十分にあるのか?



太陽エネルギーは十分にはないと、一般的には信じられているようだ。しかし、これは全くの誤解だ。地表の日射量(注4)からのおおまかな計算では、全世界の人類が消費するエネルギーの約1万倍の太陽エネルギーが地表に降り注いでいることになる()(注5)。



*大きな水色の長方形を地球に降り注ぐ全太陽エネルギーとすると、人類が使うエネルギーはわずか左端の赤い部分でしかない。






それでは、日本ではどうか?

日本は国土が狭く、人口密度が高く、豊かな国なので多くのエネルギーを消費する。それでも、日本が消費するエネルギーの約100倍の太陽エネルギーが日本国土に降り注いでいるのだ()(注6)。逆に言うと、日本の消費エネルギーは国土に降り注ぐ太陽エネルギーの1/100(1%)にしかならない。これは日本近海に降り注ぐ太陽エネルギーを計算に入れていない。しかし、日本人は魚介類など海洋資源(太陽エネルギーの形が変わった物)を沢山利用しているので、実際にはもっと多く、約1,000倍の太陽エネルギーがあることになるだろう。



*大きな水色の長方形を日本国内に降り注ぐ全太陽エネルギーとすると、日本人が使うエネルギーはわずか左端の赤い部分でしかない。






これをロタ島で計算すると、島で消費するエネルギーのなんと約2万倍(!)の太陽エネルギーが島内に降り注いでいることになる()(注7)。



*大きな水色の長方形をロタ島に降り注ぐ全太陽エネルギーとすると、ロタ島民が使うエネルギーはわずか左端の赤い部分(ほとんど見えないが…)でしかない。






少なくとも日射量は十分にあることが分かった。



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3.太陽光発電だけで考えると…



日射量が十分なら、それで問題が解決と言うわけではない。



日本の場合、必要なエネルギー量を確保するためには、国内に降り注ぐ太陽エネルギーの約1%が必要となる。

現在の太陽電池の実質的なエネルギー変換効率が約10%ほどなので(注8)、太陽エネルギーを太陽光発電だけで利用するなら、国土面積の10%を太陽電池でカバーすれば、国内に降り注ぐ全太陽エネルギーの1%(10%の10%は1%)を利用できる計算になる。しかし、国土の10%の面積を太陽電池で覆い尽くすことは不可能だ。そこで、「太陽エネルギーは十分にはない」という結論になるわけだ。



ところが、太陽熱温水器のエネルギー効率は最高80%、一般的な製品でも40%が普通だ(注9)。つまり、太陽電池の4倍から8倍も効率が良い(写真)。例えば太陽電池の5倍のエネルギー変換効率を持つ太陽熱温水器で太陽エネルギーを利用するなら、日本の2%の面積をカバーすれば良いことになる。








鋭い読者はお気付きになったと思うが、太陽エネルギーの利用を太陽光発電だけで考えては、大きな落とし穴にはまることになるのだ。



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4.太陽エネルギーは形を変える



太陽エネルギーは日射を利用しなければ消えてしまうと思われがちだ。本当だろうか? 実は、光や熱を直接利用しないと、太陽エネルギーは形を変えるのだ。



太陽エネルギーは太陽から光(可視光線)の形で地球へやって来る。これが「太陽光」。物に太陽光があたると熱になる。これが「太陽熱」。陽に当たると熱いのはそのせいだ。

この2つを「直接太陽エネルギー」と言う。



熱は、さらに地表や大気や海水を暖める。もちろん、我々をも暖めてくれる。つまり、太陽熱が他のものに伝わったわけだ。雪などの低温を利用する冷熱も含めて(注10)、これらを「間接熱」と言う。一部が暖められた大気や海水は対流を起こし、風や海流となる。これが「風力」などだ。風は波を起こす。これが「波力」だ。海面が暖められると水が蒸発して雲となり山に雨を降らす。それが川となって再び海へ戻る。これが「水力」だ。



一方、太陽の光で植物は光合成をして成長する。だから植物は太陽エネルギーの形が変わって貯蓄されたもの。さらに植物を食べて成長する草食動物も、その動物を食べる肉食動物も、太陽エネルギーの形が変わって貯蓄されたものと言える。これらを「バイオマス(生物資源)」と呼ぶ。生物の塊という意味だ。

これらをまとめて「間接太陽エネルギー」と言う。








つまり、太陽エネルギーとは、これら全てを合わせたもののこと。故に、その一部の利用だけを考えたのでは、本当の太陽エネルギーの有効利用とは言えない。



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5.太陽エネルギーを有効利用するには



エネルギー利用には、自然の摂理によるいくつかの原則がある。太陽エネルギーの有効利用に際しても、この原則を守らないとうまくいかない。



1)全ての形の太陽エネルギーを利用する

前項で太陽エネルギーとは様々な形があることをお話した。太陽エネルギーの有効利用とは、それらの全ての形を効率良く利用することだ。太陽光発電と風力発電だけに拘ってはならない。つまり、太陽光、太陽熱、間接熱、風力、波力、水力、バイオマスなどの全ての形を利用したい。

実は、バイオマスの有効利用とは、我々が忘れがちな「農林水産業の健全化」ことなのだ(注11)。これをおざなりにして、太陽エネルギーの有効利用はあり得ないと断言しておきたい。



2)太陽エネルギーは分散エネルギーなので分散して利用する

太陽エネルギーは低密度で広く分散したエネルギーだ。これは、我々が使い慣れた(と言ってもたかだか200年、本格的には60年程度の話だが…)石油などの集中エネルギーとは正反対の性格と言える。



石油など集中エネルギーは一ヶ所で集中して利用するのが正しい。スケールメリット(注12)も生まれ、エネルギー効率も経済効率も上がるからだ(注13)。反対に、太陽エネルギーなど分散エネルギーを一ヶ所で集中的に捉まえてはならない。それは集中エネルギーに対する思考法なのだ。海岸や山の尾根などに、大型の風車を集中的にずらーっと並べて発電するなど、その典型的なやり方と言えようか(写真)。僻地でのインフラ整備と維持は大変であり高い。また、風景を台無しにし騒音や振動も大きく、生き物への悪影響は大きい。特に、渡り鳥やコウモリなどへの被害は甚大だ(バードストライクと言う)。








3)エネルギーが必要な場所で得る:エネルギー輸送しない

エネルギーは輸送すると大きなロス(損失)が出る。輸送のためのインフラ設備にもエネルギーとお金が必要となる上に、せっかくのエネルギーが輸送途中で逃げて行ってしまうのだ。これは避けたい。幸い、太陽エネルギーはどこにでもあるエネルギーだ。エネルギーを必要としている場所かその近くで獲得すれば、ロスの大きなエネルギー輸送を避けることができる。



例えば風力利用では、大型の風車を一ヶ所に集めて発電し、長い送電線で消費地に送るという従来のやり方は問題が多い。遠からず破綻するだろう。それは太陽エネルギーが分散性であるという自然の摂理に反するからだ。エネルギー利用の原則からは各家庭などエネルギーを必要としている場所で、小規模な風車(それも風力を動力利用するために縦軸型風車)を設置するのが理想的と言えよう()。








4)分散エネルギーは安いローテクを広く使う

集中エネルギーには大型で高額のハイテク装置の集中投入が効率的だが、分散エネルギーにはうまくいかない。経済効率が落ちるからだ。ここでは小型で低額のローテク技術をできるだけ広く導入することが求められる(写真)(注14)。






5)できるだけ元の形のまま利用する:エネルギー変換しない

一言でエネルギーと言うが、実はエネルギーには色々な形がある(注15)。光、熱、電気、化学、そして運動エネルギーなどがその代表だ。そして、エネルギーは形を変える(エネルギー変換と言う)と、ロス(損失)が大きいのだ。つまり、我々の手から逃げてしまう部分が出る。

そこで、できるだけ得られたままの形で利用することを考えたい。太陽光は明りとして、太陽熱は暖めるために、風力・水力は動力源として、バイオマスである木材や草は、建築材や断熱材として……などだ。家の窓を大きくとって、太陽光を取り込むと、光と熱の両方を利用できる。この手法は寒冷地では大変有効だ(写真)。








このエネルギー変換をしないという原則は、エネルギーの貯蓄にも当てはまる。

何でもかんでも得られたエネルギーを電気に換え(発電し)、全てをバッテリー(化学エネルギー)に貯蓄する現在のやり方は、エネルギー利用の原則からは初歩的なミスを犯しているとも言えるのだ。それはエネルギー変換の度に、元々持っていたエネルギーの半分以上(バッテリーに貯蓄する場合は70%も)を失ってしまうからだ(注16)。



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連載コラム6「楽園ロタ島:太陽の恵みを活かす(後)」へつづく。






2006年10月12日、スイス近自然学研究所にて




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注1)核融合

原子核融合のこと。高圧高温の条件下で水素、重水素、トリチウムなど軽い原子核どうしが融合し、より重いヘリウムの原子核を作ること。その際に膨大なエネルギーを放出する。これが核融合エネルギーだ。

それに対して、ウランやプルトニウムなどの重くて放射性を持つ原子核が、2つ以上の原子核に分裂することを核分裂という。この場合も原子核が持っていた膨大なエネルギーを解放する。

太陽では水素がヘリウムになる原子核融合が起こっており、その際に出る膨大なエネルギーは、光や電磁波として宇宙空間に放射される。その一部が地球へも降り注ぎ、それを我々は太陽エネルギーと呼ぶ。





注2)膨大なエネルギーを出し

1g(グラム)の物質がエネルギーに変換されると、100W(ワット)の電球3万個を1年間点灯し続けることができる膨大なエネルギー量となる。





注3)光や電磁波の形で……地球へも降り注ぐ

厳密には光も電磁波の一種。太陽からのエネルギーのほとんどは、光、それも可視光(我々が目で見て光と感じるもの)の形で地球へやって来る。





注4)地表の日射量

地表の同じ面積での日射量は緯度によって異なる。太陽に対する地表面の角度が赤道直下と南極北極とでは大きく異なるからだ()。当然、赤道直下の方が地表の日射量は大きい。また、太陽の角度は時間によってどんどん変わるし、季節によっても異なるので、地表の日射量もそれにつれて変わる。故に、1年間の平均を取らないといけない。さらに、快晴の日もあれば嵐の日もあり、それは地域によって大きく異なる。そんなわけで、正確な計算は不可能なのだが、日本各地の気象台が発表している地表の日射量の実測値を使って、おおまかな計算は可能だ。








注5)約1万倍の太陽エネルギーが地表に降り注いでいる

世界の太陽エネルギーの年間照射量は、9,220×1017kcal。

世界の年間エネルギー消費量は、1.09×1017kcal。

そこで、この割合を出すと、9,220÷1.09≒10,000

つまり、人類が使うエネルギー量の約1万倍の太陽エネルギーが地表に降り注いでいることになる。





注6)約100倍の太陽エネルギーが日本国土に降り注ぐ

日本のおおよその日射量は、1m2当たり1年間で約1×106kcal。

「日本の面積:377,800km2=377,800×106m2」なので日本全体では:

1×106kcal/m2×377,800×106m2=377.8×1015kcal

日本全国でのエネルギー消費量は(資源エネルギー庁 2000年度による)、

3.759×1015kcal。

これらの比率を求めると、377.8÷3.759≒100となる。これは太陽エネルギーが日本が使うエネルギー量の約100倍あるという意味。ただし、これは日本列島周辺の海洋へ降り注ぐ太陽エネルギーを含めていないので、実際にはさらに10倍ほどあるだろう。





注7)約2万倍の太陽エネルギーが島内に降り注いでいる

ロタ島内でのエネルギー消費量のデータがない。そこで、1人当たりのエネルギー消費量を世界平均値と仮定して計算した。





注8)太陽電池の実質的なエネルギー変換効率が約10%ほど

エネルギー変換効率とは、投入したエネルギーに対して得られるエネルギーの割合のこと。

実験室内の好条件下での効率は、最高20%に近づいている。ところが、実際にはそんな高級な太陽電池は使えないし、太陽電池の表面の汚れなどで条件が悪くなるので、実質的な効率は10%程度となる。





注9)太陽熱温水器の効率は最高80%、一般的な製品でも40%が普通

太陽熱で水を暖めるのが太陽熱温水器である。ここでは太陽熱が水へ伝わるだけなので、エネルギーの形が「熱」のまま変わらない。故に、温水器の断熱などによりエネルギー効率を上げることが容易だ。しかし、それは当然コストアップとなる。エネルギー効率が上がっても経済効率(投資効果)が落ちては、工業製品としては成立しない。そこで、これらがバランスするポイントを見つけることになる。

現在市場に出回っている太陽熱温水器のエネルギー効率は、真空パイプ式(二重のガラスパイプの間を真空にした構造)が70%に達するが、一般的には40%から50%の物が多い。つまり太陽エネルギーの40〜70%が水に取り込まれて水を暖めるということだ。どうやら、この辺りが工業製品として、エネルギー効率と経済効率がバランスするポイントのようだ。

太陽光発電のエネルギー効率が実質的には10%程度であることをお話した。エネルギーの形を変えない太陽熱温水器のエネルギー効率がいかに高いかが分かる。





注10)雪などの低温を利用する冷熱も含めて

物を暖めるのと冷やすのでは、方向が逆なだけで、どちらも熱の移動がある。雪や氷などで物を冷やすのは、物で雪や氷を暖めているとも言える。つまり、我々がどちらを利用しているかの問題で、熱の移動という意味からは同じことなのだ。





注11)バイオマスの有効利用とは、「農林水産業の健全化」のこと

農林水産業は、我々にとってタダである太陽の恵みを我々のマンパワー(人間の労働力)によって付加価値を付けて売るなりわいだ。本来、太陽エネルギーの有効利用以外の何物でもなかった農林水産業が、今、石油漬けになっている。これはどうしても見直しが必要だ。





注12)スケールメリット

集中して規模を大きくすることにより色々な効率が上がること。集中エネルギーを扱う場合、2基の火力発電所を1基に集めると、エネルギー効率が上がって経費は2倍より少なくなる。つまり経済効率も上がる。

しかし、分散エネルギーではこの考えは通用しない。2倍の太陽エネルギーが必要なら、2倍の面積が必要となり、エネルギー効率も経済効率も上がらない。逆に言えば、分散して小型化しても効率が落ちないというメリットがある。だからそれを最大限に利用するのが巧いやり方だ。つまり、太陽エネルギーの有効利用では小型分散化が良い。





注13)エネルギー効率も経済効率も上がる

経済効率とは、投資効果のこと。つまり、投資した額に対して、どれだけの効果が得られるのか。ここでは、エネルギー効率が上がることにより、投資効果が高まることを意味する。





注14)小型で低額のローテク技術をできるだけ広く

極端な話、水を入れた黒いビニール袋やペットボトルを日射に曝すだけでも温水が得られ、さらに殺菌効果もあるのだ。または、黒いホースを屋根に這わせて水をチョロチョロ流すだけでも簡単に温水が得られる。





注15)エネルギーには色々な形がある

光(正しくは電磁波や音響を含む波動エネルギー)、熱、電気、運動、位置、機械(バネやゼンマイ、さらに高圧や真空が持つエネルギー)、化学(石油やバイオマスや水素が持つエネルギー)、核など。運動、位置、機械エネルギーは性格が似ているので、まとめて力学的エネルギーと呼ぶ。この3つの間ではエネルギー変換してもロス(損失)がほとんど出ず、効率が落ちない。逆に言うと、他のエネルギーに形を変える(エネルギー変換する)とロスが大きい。ただし、どのエネルギーでも熱エネルギーへの変換ではロスがほとんど出ない。



どうやら、エネルギーには上下関係があるようだ。上位のエネルギーから下位のエネルギーへの変換ではロスが少なく、逆に、同位のエネルギーどうしや、下位のエネルギーから上位のエネルギーへの変換では大きなロスを覚悟しなくてはならない。ちなみに、上位は電気、中位は力学的と光と化学、下位は熱だ。核エネルギーは別格のようだ。







この点について詳しくお知りになりたい方は、私の著者仲間である永井俊哉氏のコラム「生命にとっての資源問題と環境問題」をお読みいただきたい。

http://www.teamrenzan.com/archives/writer/nagai/post_44.html





注16)元々持っていたエネルギーの半分以上を失ってしまう

風力でポンプを回すことを考えてみよう。



*風力で発電してモーターを回す場合はどうか。

まず、風力発電時に効率約40%(60%を失うという意味)。その電気でモーターを回す際の効率が約90%(10%しか失わないという意味)。これらを合計すると、40%×90%=0.4×0.9=0.36、つまり36%。これは、元々風が持っていたエネルギーの64%を失うという意味だ。

*また、風力で発電してそれをバッテリーに溜め、その電力でモーターを回すとどうなるのか。まず、発電時に効率約40%(60%を失うという意味)。一般的な鉛バッテリーに溜めて利用する時に効率約30%(70%を失うという意味:予測)。電気モーターの効率が約90%(10%しか失わないという意味)。これらを合計すると、40%×30%×90%=0.4×0.3×0.9=0.108、つまりたったの11%にしかならない。これは、元々風が持っていたエネルギーの89%(ほとんど全てではないか!)を失ってしまうことを意味するのだ。



*それに対して、風力で直接ポンプを回すとどうか。(ただし、この場合、縦軸型風車でなくてはならない。)

風力もポンプも運動エネルギーなので、エネルギー変換がないので、効率90%は確保できよう。これは元々風が持っていたエネルギーのわずか10%しか失わないという意味だ。

*また、風力をメカバッテリー(重い石を持ち上げるなど)で貯蓄し、その位置エネルギーでポンプを回すとどうなるのか。風力をメカバッテリーへ貯蓄する際の効率が約90%。メカバッテリーから動力を取り出すのにやはり約90%。これらを合計すると、90%×90%=0.9×0.9=0.81、つまり、元々風が持っていたエネルギーの81%を利用でき、たった19%しか失わないのだ。






この発電するかしないかのエネルギー効率の差はドラスティック(モーレツ!)ではないか。自然の摂理に則したエネルギー利用の原則を守る場合と守らない場合の違いは、こんな大きな差になって現れるのだ。


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2006年10月 8日

連載コラム4 楽園ロタ島:清水と旨い食物










1.楽園の飲み物



ロタ島の楽園的飲み物の代表は、湧き水(ミネラルウォーター『ロタクリスタル』)、フルーツジュース、果実酒、ハーブティーなどだろう。

ココナッツ・ジュース(ココナッツ・ウォーター、ココナッツ・ミルク)(注1)には、私自身今まで良い印象がなかったのだが、ロタ島の物はココヤシの種類が違うのか、旨いものを見分ける力量のお陰なのか、トライした3回とも旨かった(写真)。このココナッツ・ジュースは発酵させてココナッツ・ワイン(注2)となる。口当たりが良く芳醇な風味の素晴らしい飲み物だ。






ロタ島独特の果物の一つにロタレモンがある(写真2枚)。日本のミカンを小粒にしたような色と形だが、味はライムに近い独特の香りと味わいがある。ジュースとしても、またビールなど他のドリンクに絞り落としても旨い。






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2.楽園の食べ物



島でとれる山海の珍味が楽園の食べ物だ。それは、島内産というだけではなく、旨くなくてはならない。まず第一に上げたいのが、果物と魚介類だ。



果物は、マンゴー、パパイア、バナナ、ココナッツ、パイナップル、スターフルーツ、サワーサップ、アボガド、ブレッドフルーツ(パンの木の実)、ロタレモンなど多彩(写真)。名も知らぬ(私が知らないだけだが)美味しいフルーツがまだまだ沢山ある。










ブレッドフルーツは1個で人1人が1日生きて行ける栄養をもつと言われる。




ロタ島には旨い食材が沢山ある。その中でも、木で熟したマンゴーの旨さは格別だ(写真)。私自身、大好物のマンゴーだが、今回のロタ島滞在で木で熟したマンゴーの本当の旨さを初めて知った。






今まで酸っぱいだけと思っていたスターフルーツが、熟せば旨いこと(当たり前か?)も知った。そして、ロタ島で初めて食べたサワーサップの甘酸っぱい独特の旨さは、クセになること請け合いだ。実はスウィートサップもあるのだが、たまたま熟した物に出会えなかった。(残念!)



さらに、ロタ島ではタロイモが絶品なのだ(写真)(注3)。農業が家庭菜園の域を出ないロタ島で、唯一農業らしいのがタロイモだろう。






魚介類は、ロブスター(写真)、エビ(写真)、魚類(写真)、貝類など。ロタ島は豊富な海の幸にも恵まれている。










ロタ島独特のロタレモン(写真)とロタペッパー(ホットペッパー)(写真)は、チャモロ料理には欠かせない。ロタペッパーは小粒で真っ赤なトウガラシだが、その辛さったら……一口で空を飛べること間違いなし! 醤油にロタレモンとロタペッパーそれに青い葉の部分を使うロタオニオンを加えたソースはチャモロ料理で多用される。






ロタレモンは『ケラグィン(ケラグェン)』(写真)という、チャモロ風の酢じめ料理では、重要な隠し味となる。これが普通の酢やレモンではダメなのだ。私は、チキン、タコ、エビ、そしてビーフのケラグィンを食べたが、どれも旨かった。インド料理のナンのような薄く焼いたパン(ティティジャスと言う)に挟んで食べるのが作法であり、それがまたよく合う。酢じめは日本料理にもあるが、独特の薬味とロタレモンのお陰で、全く別物という印象を受ける。




ロタ島滞在中、我々は意外な食べ物に何度か遭遇した。シカ肉の刺し身、ヤシガニなどその代表だろう。アボガドの刺し身もそうだ(写真)。ロタ島の木で熟れたアボガドの刺し身は、私の想像を絶する旨さだった(注4)。






さらにビックリしたのは生のココナッツの刺し身だ(写真)。フルーツ園で注文もしないのに供されたのだが、最初は何だか分からなかった。いぶかしく思いながらも、口に運ぶと……意外にも旨い。食感的には新鮮なイカの刺し身に近いだろうか。これはクリーンヒット、いや、もしかしたらホームランか。






今一つ意外な大ヒットが、ホテル・ロタ・リゾートで出されたパパイヤの細切りのかき揚げ(写真)。コリコリして、言われなければ何なのか分からない食感だ。醤油ベースのタレで食べたたこの掻き揚げはとても旨かった。肉の生産量が少ないロタ島では、あり余る果物を旨く食べられる新レシピは大歓迎だ。これらの料理を現地のチャモロ人達がどう感じるのか(実はそこが重要なのだが)まではリサーチできなかったが、日本人にとっては間違いなくご馳走だ。






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3.楽園から遠い飲み物と食べ物



島外からの飲み物や食べ物、島内の飲料や食材ではあっても不味い物、島内の旨い飲料や食材が手に入らないこと……これらは楽園から遠い状態だ。



ロタ島にはホテルのダイニングも含めて、合計20軒のレストランとカフェ(と言っても実質はレストラン)がある。そのうちの半数が、ロタ島唯一の繁華街(と言うのもほとんど言い過ぎなのだが…)を持つソンソン村に集中している。残りの半数はホテルなどだ。そのうちのソンソン村の5軒のレストランと3軒のホテル・ダイニングをリサーチできた。



ほとんどのレストランでの食事は、残念ながら高くて不味い。もちろん、レストラン・ベイ・ブリーズの『ケラグィン』などのように安くて旨い物もある。それぞれのレストランにも旨い物があるのだろうが、そこまで徹底したリサーチはできなかった。そんなレストランの中で、唯一の例外とも言えるのが、『トンガ・トンガ・カフェ』だ。カフェと言っても、れっきとしたレストランである。ここでは、何を注文しても旨い。しかも、エントランスも建物も素晴らしい雰囲気で、何より島の新鮮な食材にこだわっているのが嬉しい。



私の大好きなビールは、ロタ島では100%輸入だ。それもアルミ缶が大部分なのは大きなマイナス・ポイント。ビールを注文する際には、「ビンビールはあるか?」といちいち確認しないと、缶ビールが自動的に出てくる。



しかしながら、食材が島内産なら何でも良いわけではない。確かに島内産なら投入される石油エネルギー量は少なく、従って環境負荷が小さい。そして島民の雇用が確保される上に安価でもある。しかし、不味ければダメなのである。



例えば、島内で産する素晴らしいミネラルウォーター『ロタクリスタル』。このロタ島の至宝とも言える清水は、ペットボトルに詰めて売られている(写真)。このペットボトルは100%中国製だ。産業のないロタ島では致し方ないが、問題はその先だ。このペットボトルのキャップが例外なく石油臭く、折角の美味しい水が台無しなのだ。こんな状態の『ロタクリスタル』を楽園の清水と呼ぶわけにはいかないではないか。




できれば『ロタクリスタル』は不快な臭みの出ないガラスビンに詰めて流通させたい。さらにビンはリユース(物の再使用)したい(注5)。つまり、ガラスビンを洗って、繰り返し使用するのだ。この方が、ペットボトルのリサイクルより、環境負荷が小さく、何より中に入れる水が旨い。そして、島内に新たな雇用も生まれるではないか。



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4.「食」の自立



日本では口にすることが難しいような旨い物が沢山あるロタ島。読者の皆さんはどんな印象を持たれたのだろうか? 皆さんも食べたくなったのでは?



しかしながら、このコラムは、ロタ島の旨い物やレストランのガイドが目的ではない。「新たな楽園」を創造するために、「」の現状を確認してみたかったのだ。素晴らしい「」資源が豊富なロタ島だが、「新たな楽園」へ向けてこれから何をしたらよいのだろう。



実は、ここからが本題なのだ。



ロタ島で我々が目指したいのは「」の自立だ。

「自立」とは「依存からの脱却」を意味する。現状では、ロタ島の食材はアメリカ合衆国を中心として、極端に海外に依存している。これはロタ島に何軒かあるスーパーに行ってみれば明らかだ。棚に並んでいるのは海外からの食材がほとんどである(写真2枚)。








ロタ島産の食材だけで完全に島内の需要に応えることができるかどうかは怪しい。また島民のアメリカ指向が続く限り、「」の自立はなし得ないだろう。しかしながら、ロタ島の人達は本当にアメリカ流の食生活とライフスタイルに満足しているのだろうか? 何にでもケチャップとマスタードをかける食事を、本当に旨いと思い、心からの喜びを感じているのだろうか?(写真2枚)






私にはそうは思えない。

アメリカ流のライフスタイルがモダンでカッコイイと頭に刷り込まれているだけなのではないか。その証拠に、普段はチャモロ料理(ヤシガニ、ロブスター、シカ、魚、タロイモなど)を食べていながら、客人が来るとそれらを隠して、アメリカ流の肉を中心としたバーベキューを供すと言う話さえ聞いた(写真)(注6)。強くて豊かな国アメリカのイメージとも重なった「バーベキュー」が現代のステイタスシンボルでさえあるようだ。






」の自立は、石油エネルギーの投入量を減らす。それは当然のことながら環境負荷を抑え、人々の経済的負担も減らしてくれる。さらに、最も重要なのは、住民の感じる「満足・充実感・豊かさ・幸せ」などに大きく貢献することなのだ。



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」の自立は重要だが、実は「」だけが自立してもダメなのだ。



本当は我々が生きて行く上での基本要素である「衣・食・住・水・エネルギー・資源」の自立を目指したい。それにより我々の日常生活における石油エネルギーの投入量を劇的に減らし、石油依存から脱却できる。これが「脱石油」だ。そしてそれは、石油エネルギーの代わりに「太陽エネルギー」を有効利用することによって実現できる。

太陽エネルギーとは何なのか、どう利用すればいいのか? これらについては次回の連載コラム5で詳しくお話したい。






2006年10月5日、スイス近自然学研究所にて




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注1)ココナッツ・ジュース(ココナッツ・ウォーター)

ココナッツ(coconut)はココヤシの果実のこと。固い繊維質の殻の内部には胚と胚乳がある。白色で固形の胚は食用になる。我々が普通ココナッツと呼んでいるのはこの部分を乾燥させたもののことだ。ココナッツ・ジュースは、この胚の内部に溜まる液汁(胚乳という)のことだ。若い(まだ外側が緑色)ココナッツの胚乳は薄い白濁をなし、ほのかな甘味を持っている。

ロタ島ではこの液汁を、『ココナッツ・ミルク』『ココナッツ・ジュース』『ココナッツ・ウォーター』などと呼んでいる。



注2)ココナッツ・ワイン

チャモロ語ではトゥーバという。ココヤシの胚乳(ココナッツ・ミルク、ココナッツ・ジュース、ココナッツ・ウォーター)を発酵させたもの。ロタ島の名物の一つであるが、生産量が少ないせいか、いつでもどこでも手に入る物ではない。





注3)タロイモ

サトイモ科サトイモ属(Colocasia)の植物の総称。世界の熱帯から温帯にかけて広く栽培され、主要な食糧となっている。主に地下茎(イモ)を食す。オセアニアのタロ、アフリカのココヤム、日本のサトイモなども変種として含まれる。

マリアナ諸島にはどの島にもタロイモが育つが、ロタ島産の物が、気候・地質・水などの条件のせいか、格別に旨いと言われる。





注4)アボガドの刺し身

アメリカのカリフォルニアでマグロのトロの代用として発明されたとされる。アボガドを使った太巻きの一種であるカリフォルニア巻が有名。カリフォルニア巻はヨーロッパのスシバーでは一般的な出し物だ。トロその物とは言わないまでも、食感がよく似ている。いや、似ているから良いのではなく、これそのものが単純に旨い。





注5)ガラスビンはリユース(物の再使用)したい

環境に配慮した資源の利用に関して、優先順位の原則がある。



 1)リデュース:使用量の減量

 2)リユース:物の再使用

 3)リサイクル:資源の再生利用



だ。リデュースとは、資源の使用量の「減量」のことで、端的に言えばライフスタイルの転換を意味する。つまり使い捨てのライフスタイルからの転換だ。

次がリユースで、物の「再使用」のこと。形を変えずに、何度も繰り返し使用することだ。ビンを洗って再び使ったり、不要になった電気製品を他人に譲ったり、一度使用した紙の裏側を使うなどがリユースである。

そして最後がリサイクル。これは特に枯渇資源の形を変えて「再生利用」することを意味する。エネルギーの投入量は少なくないが、枯渇を先へ伸ばすことができ、さらには、新しく作るよりエネルギー使用量が少なくて済むことも多い。

そんなわけで、ペットボトルのリサイクルより、ガラスビンのリユースを優先して考えたい。





注6)チャモロ料理を隠してバーベキューを供す

チャモロ人達は島内産の食材で作るチャモロ料理を旨いと感じながら、同時にそれを1段低く見たり、それを食べていることを恥ずかしいとも思っているフシがある。それは、島の歴史や戦後の教育などが大きな役割を演じていると思われる。普通我々がチャモロ人の家庭に招待されると、そのご馳走は肉・魚・エビなどのバーベキューと決まっている。ところが、事前にチャモロ料理を食べたいと言うと、喜々として本格的なチャモロ料理を作ってくれる。そしてそれはとても旨い。

本物のケラグィン(酢じめ料理)、シカ肉の刺し身、そしてヤシガニのココナッツ・ミルク煮などの素晴らしいご馳走には、そうやって出会うことができた。

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2006年10月 1日

連載コラム3 楽園ロタ島:そのヴィジョン









1.ヴィジョンとは何か?



ヴィジョンとは理想像とそれを思い描くこと。つまり、我々の求める理想状態を、具体的な像としてイメージすることだ。何かを実現しようとする場合、具体的な形をイメージできるなら、ほぼ90%、事はなったも同然だ。あとはそのイメージを実際の形にする作業があるだけだとも言える(注1)。



ヴィジョンが重要なのには、2つの理由がある。まず第1点は、理想像をイメージすることが、何かを実現するという我々の創造的プロセスの重要な根幹をなすこと。そして第2点は、プロジェクトなどにおいて、右往左往するムダを減らすこと(左)。つまり、効率を上げることだ。闇夜の航海での北極星や南十字星のような道しるべとなる明確なヴィジョン(理想像)がなければ、右往左往は必然であろう(右)。いや、自分たちが右往左往していることすら気付かないだろう。それは右往左往と分かる明確な基準が存在しないからだ。





[ヴィジョンが明確にある場合]      [ヴィジョンがない場合]




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2.バックキャスト手法について:

  「ヴィジョン→到達目標→手段」の手順



プロジェクトなどにおいて、将来の着地点を決めてから、そこへ向かって進むやり方が、バックキャスト手法だ。プロジェクトを効率良く確実に成功へ導くための一つの手法と言えよう。バックキャストとは後ろへ投げるという意味で、前に投げるという意味のフォアキャストに対する表現である。



バックキャストでは、ポーラスター(北極星)のような、進むべき方向を指し示すヴィジョン(理想像)を、まず考える。これは理想なので、実現できるかどうかは問題ではない。我々が考え得る最高の状態だ。そのヴィジョンに向かう途上に、実際に到達したい目標点(実現したい事柄)を設定する。そして、そこに至る道筋(具体的な方策や手段)を決めて進む(実行する)()。








「バックキャスト」の例

高校卒業時に、

*世界平和に貢献するという人生の「ヴィジョン(理想像)」をかかげる。これがこれからの人生の方向性を指し示してくれる。

*次に、国連のしかるべき部署で働くという具体的な「到達目標」を設定する。

*そのために大学で専門知識を得たり、語学学校へ行って英語を勉強するといういくつかの「方策」を選択し、実行する。



「フォアキャスト」の例

高校卒業時に、

*成績が良いので大学に行く。

*大学の成績が良いので役所へ入る。

*役所である部署に配属になったので、そこで最善を尽くす。



というように、その場その場で最良と思われる道を選択していくのが、フォアキャスト手法だ。



どちらが良いか悪いかではない。しかし、限られた時間、限られた予算、限られた労力で目指す成功を収めたいなら、バックキャスト手法が効率的と言えよう。つまり、高い効率を求められる現代のプロジェクトなどでは、是非とも取り入れるべき手法なのだ。



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3.手段と目標を混同してはならない



設定した目標へ到達するための道筋が「方策(手法・技術)」だが、手法・技術そのものが目的になってしまってる例を多く見る。つまり、方策の独り歩きだ。



例えば、経済は我々に豊かさをもたらすためのものだろう。ここでは、我々の幸せが「ヴィジョン」で、豊かさが「到達目標」だ。そしてそれを実現するための一つの「手段」が経済なのだ。しかしながら、昨今、経済のために我々の豊かさ、そしてひいては我々の幸せさえをも犠牲にしていないだろうか?

もしそうなら本末転倒も甚だしい。我々の幸せに貢献しない経済は、手段として失格ということになる。

また、どんなに素晴らしいテクノロジー(科学技術)であっても、それは目標へ到達するための手段である。それ自身が目的になってはならない。



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4.ヴィジョン(理想像)としての楽園



ロタ島のヴィジョン(理想像)は、「地上の楽園」で決まりだろう。さらにその楽園を具体的にイメージしてみたい。



 *太陽がさんさんと降り注ぎ、気候が温和で、暑くも寒くもない

 *白いわた雲の浮かぶ紺碧の広い空がある

 *漆黒の夜空には満天の星がきらめく

 *大きな月が幻想的でロマンティックな光を放つ

 *清い水がこんこんと湧き、水草が繁茂したきれいな小川が流る

 *色とりどりの鳥がさえずり、美味しい果物が豊富に実る豊かな森がある

 *色とりどりのサンゴや魚が棲む、エメラルド・グリーンの海がある

 *ヤシの茂る純白の砂浜がある

 *海ではイルカが泳ぎ、砂浜ではウミガメが産卵する

 *自然の恵みである食物が沢山ある(旧約聖書では乳と密が流れるという)

 *妙なる調べがいつも流れている

 *人と動物が調和して生活し、野生動物たちは人を怖がらない

 *皆とコミュニケーションがうまくとれ、平等で仲良く平和に生きる

 *話したいと思う人といつでも会話できる

 *見たいと思う場面がいつでも見える

 *行きたい思う場所にいつでも行ける

 *人々は健康で、不老長寿

 *あくせく働かなくても皆が満ち足りて幸せに暮らすことができる

 *素晴らしい自然と過不足のない豊かな生活が両立する

 *理想的な伴侶がいる

 *……



などか。



思えば、我々の近代文明はこれらの理想像(楽園)をテクノロジー(科学技術)で実現しようとした努力の積み重ねの結果ではなかったのか(注2)。



「楽園」は不足や過剰がない状態だ。現在のロタ島には、残念ながらその両方がある。しかしながら、上に羅列した項目の中には、ロタ島にすでに存在する物が沢山あることに驚かされる。それだけロタ島は、我々がイメージする楽園に近いと言うことだ。これらを維持したまま、不足を補い、過剰を抑制したい。そのための助けとなるのが、次のリストアップ手法だ。



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5.リストアップ:

  ロタ島にある物、ない物、欲しい物



ロタ島の現状を把握するために、以下の点に関してリストアップする。



 1)ロタ島にある物

 2)ロタ島にない物

 3)ロタ島に欲しい物



ロタ島にある物」とは、住民にとって好ましい物、好ましくない物の両方を含む。そして、好ましいか、好ましくないかを明確にマーク(例えば○×で)する(写真)。








ロタ島に現在ない物で、島民がどうしても欲しいと思う物があるかもしれない。ここで考えなければならないのは、それを実現した場合、現在、ロタ島にあり、しかも住民がかけがえのないと思っている物が壊されないかどうかだ()。つまり、広い視野と長い時間に配慮した思考法を持たないといけない。そうでないと、折角新しい物(例えば下図中の黒○印の項目)を獲得しながら、もっと大事な物(例えば下図中の黒×印の項目)を失うことになり兼ねないからだ。








単純な例をあげよう。



近代的な高層建築が欲しいということになったとしよう。しかし、それを実現すると、ロタ島のかけがえのないランドシャフト(ここでは、素晴らしい景観という意味)が壊されることになるだろう。

または、多くの現金収入を得るために、沢山のツーリストを呼びたいと考えたとする。そうすると、航空便などキャリアの問題、空港・道路・ホテル・レストラン・エネルギー・食料・飲料水・汚水処理・ゴミ処理などインフラ設備の問題が生じる。さらには過当競争から勝ち組負け組がハッキリし、貧富の差が広がって行くに違いない。ロタ島の様相は一変し、今ある楽園的なたたずまいと住民の温和な心根は失われてしまうことだろう。



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6.問題点を解決する手法



バックキャストは、大きなヴィジョン(理想像)を遠くにかかげて、それに向かって確実に進む手法だ。それとは別に、現状の問題点を見つけて、それを解決する手法がある()。これは、ヴィジョン(理想像)へ近づくのを妨げている障害を取り除くやり方で、我々には馴染みやすいかもしれない。しかしながら、ここでもヴィジョン(理想像)をイメージすることが重要なのだ。なぜなら、問題点とは、「理想と現実の差」のことだからだ。ヴィジョン(理想像)が存在しないなら、問題も生じ得ないことになる(注3)。



同時に我々が往々にして見逃しがちなのが、コンセプトだ。ここではコンセプトという言葉を、問題点の優先順位を意識的に付けるという意味で使っている。重要度の高い問題点、さらには、今ならたやすく解決できる物などが上位に来る。このコンセプトがしっかりせずに、あの問題もこの問題も解決したいという姿勢では、結局、方策がどっちつかずのものとなり、成功はおぼつかない。つまり、プロジェクトの成功のためには、的を絞った明確な姿勢が重要なのだ。








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7.楽園への第一歩



では、どうやって「新しい楽園」に近づくのか?



2つの手法をご紹介した。「バックキャスト手法」と「問題解決手法」だ。この2つは融合させて使うことができる。

例えば、こんな感じだ。



1)まず、我々が考える楽園をイメージする。これがヴィジョンであり、理想像を具体的にイメージすることだ。



2)次に、現在ある物、ない物、そして住民がどうしても欲しい物のリストを作る。



3)欲しい物を実現した場合、現在あるかけがえのない物を失う危険性を考慮する。そして、それでも実現したいのかどうかを熟考し決断する。



4)いくつかの、実現する物(新たに追加する物、今ある好ましくな物を解決すること、さらには現状を変更することをも含む)のリストができる。



5)それらの項目の優先順位を決める。重要な物は当然上位に来る。と同時に、今やれば簡単だが、例えば3年後には解決が難しくなると思われるような物も上位に来る。



6)それぞれの項目を実現するための最も良いと思われる方策を考える。

ここでは、それぞれの方策がお互いにバッティング(邪魔し合う)しないかどうかを確認しておく必要がある。



7)重要なこと、やりやすいことの両面から始めると良い。重要なこととは、例えばグランドデザイン(全体構想)などであり、やりやすいこととは、例えばゴミ拾いなどだ。



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次回より、具体的な項目について徒然なるままに書いていく。






2006年9月29日、スイス近自然学研究所にて




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注1)イメージできるなら、ほぼ90%、事はなったも同然

これはプロジェクトだけの話ではない。スキーやテニスなど、世界の一流プレーヤーは必ずと言っていいほど、イメージ・トレーニングを取り入れている。実際に身体を動かす前に、理想状態をイメージするトレーニング法だ。

それはなぜか?

イメージすることにより、身体が付いて来るからである。イメージすることが現実の形に反映するからだ。元々、東洋哲学では、外面世界は内面世界の投影だと言う。我々は再び、東洋哲学の世界観に近づいているとは言えないだろうか。





注2)近代文明は理想像をテクノロジーで実現しようとした

遠くの人と話すのがテレフォン、遠くへ文章を送るのがテレグラム、遠くの情景を見るのがテレヴィジョン。また、遠くへ移動(テレポーテーション)するのが、鉄道・自動車・飛行機などの交通機関だ。

さらに、十分な食料を確保するために、我々は大規模潅漑(かんがい)を実現し、大量の石油エネルギーと大型機械を投入した近代集約農業を開発した。

これらが良いか悪いかは別として(石油枯渇を目前に控えた今、大きな見直しを迫れられている)、近代文明は、我々の理想像である楽園をテクノロジー(科学技術)で実現しようとした試行錯誤の繰り返しであった。





注3)ヴィジョンが存在しないなら、問題も生じ得ない

プロジェクトなどでは、ヴィジョン(理想像)が明確に存在しないにもかかわらず、解決すべき沢山の問題点があげられていることが多い。論理的にはおかしな話である。問題点とは「理想と現実の差」のことだからだ。ヴィジョンがなければ、どんなに惨めな現状であっても問題は生じ得ない。にも関わらず、沢山の問題点があげられる。これは、明確なヴィジョンが定義されていなくても、個人個人の中におぼろげなヴィジョンがあるからだ。しかしながら、ヴィジョンがおぼろげなので、問題点も不明瞭となる。不明瞭な問題点の原因は曖昧(あいまい)となり、そんな問題の解決策を見つける作業は至難だろう。

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2006年9月22日

連載コラム2 楽園ロタ島












1.ロタ島はこの世の楽園だ!



……これが島に初めて足を踏み入れた私の第一印象である。



2006年8月、私は家内と共に北マリアナ諸島連邦(首都サイパン)(注1)のロタ島に2週間ほど滞在した。ここにエコヴィレッジ(エコタウン)などを実現するプロジェクトがあり、私の研究する『近自然学(注2)』を活かそうということになった。近自然の考えのベースとなる「我々の豊かさと自然環境とを両立させる」ためには、まずしっかりしたグランドデザイン(全体構想)が大切だ。そして、それを描くのに必要な材料を集める現地調査のために、今回ロタ島を訪れた。さらに、今回、政府関係者やロタ島市長とロタ島の行政に関わる皆さん、そしてマスコミ関係者に対して、近自然学の講演を行った。ロタ島でのエコヴィレッジの実現は北マリアナ諸島連邦政府やロタ島市長などとの共同プロジェクトであり、しっかりした協力なしには実現不可能だからだ。講演では、とても熱い反応で、充実した手応えを感じることができた。



その調査結果も含めて、13回にわたって、皆さんにロタ島の色々な面を、近自然の目を通してご紹介したい。第1回目は、家内が英語で書いたロタ島のウェディング・ケーキ・マウンテンを題材にしたメルヘンであったが、もうお読みいただけただろうか?

環境問題に興味のある方、近自然の考えをお知りになりたい方、南の楽園に魅かれる方、新しい人生を模索されている方などには、是非お読みいただきたい。もし何らかのヒントが得られるなら、こんなに嬉しいことはない。



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2.「楽園」とは何か?



ロタ島の自然は素晴らしい。

海は清澄でありながら力強く(写真)、森は豊満でありながら凛としている(写真)。浜辺は多様で(写真2枚)、テラス状の平地にも恵まれている。森には野生のシカが沢山すみ、色とりどりの熱帯の魚や大型のロブスターが沢山捕れる(写真)。島の至る所にたわわに実るフルーツ、特にマンゴーの旨さは格別だ(写真)。また、無数の薬草やハーブが自生し、ホットペッパー(またはロタペッパー)と呼ばれる、野生の赤く小さなトウガラシはとても旨いのだがその辛さは……一口で空を飛ぶこと請け合いだ(写真)。さらに、島のあちこちに咲き乱れる花々の美しさは、この世のものとは思われない(写真)。まさに「南国の楽園」という表現がふさわしいだろう。南の島に憧れる人が訪れれば、即座に魅惑されるに違いない。



私は幸か不幸かインド洋に浮かぶサンゴ礁の島々モルジブ諸島を知っている。海と浜だけを見れば、モルジブの美しさは格別だ。でありながら、私はモルジブを「楽園」とは呼ばないし、そこに住みたいとも思わない。私にとって、「楽園」とは、特別な意味がある場所なのだ。












それでは、「楽園」とは何なのか?



「太陽がさんさんと降り注ぎ、清い水がこんこんと湧く。きれいな小川が流れ、豊富な果物が実る豊かな森がある。エメラルド色の海には色とりどりのサンゴがすみ、沢山の魚が泳ぐ。気候が温和で、自然の恵みである食べ物が豊富にある。人間同士はもちろん、人と動物も調和して平和に生きる。人々は健康で、永遠の命を受け、あくせく働かなくても皆が満ち足りて幸せに暮らすことができる……」



そんな情景が私には思い浮かぶ。

また、「素晴らしい伴侶の存在」も必要条件にあげたい。なにしろバイブルで語られるパラダイスにはアダムとイヴがいたのだから。つまり、心優しく親切な人々の住む場所だ。



大好きなモルジブを私が楽園とは呼ばない最大の理由は、自然が与えてくれる食べ物に乏しいからだ。生活物資を輸入に頼らなければならないようでは、とても楽園とは呼び得ない。それに対して、ロタ島には、野生のバナナ、ココナッツ、パパイア、マンゴー、パンの木(写真)、ロタレモン(写真)、アボガド、スターフルーツなどなど、あり余る熱帯の果樹が生えている。しかも、誰も見向きもしないほどだ。いや、フルーツバット(写真)(注3)が一部を食べているし、熟して地に落ちたものは小動物が食べる。ココヤシの実(ココナッツ)はヤシガニ(写真)(注4)の大好物だ。








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3.ロタ島の「楽園」を壊しているのはアメリカ流のライフスタイル



その自然はまさに楽園と呼ぶにふさわしいロタ島だが、それだけでロタ島を楽園と呼べるのだろうか? 実は、ロタ島には裏の面もあるのだ。



ロタ島にはチャモロ人とカロリン人(写真)(注5)を中心とした4,000人足らずの人々(統計上は3,162名だが、実際にはもっと多いようだ)が住む。




島に人々が住んで集落を営むと、元々の楽園から遠ざかりがちだ。つまり、色々な問題が生じる。それは人間の不用意な営みが、ロタ島の楽園的な要素を傷付けるとも言える。人々が住むことがいけないのではない。その生活の仕方が問題なのだ。極論すれば、楽園から遠ざかるのは、「石油の大量消費」が原因だと言えようか。つまり、南の島でいわゆるアメリカ流のライフスタイルを実践することだ。

北マリアナ諸島連邦はアメリカ合衆国の自治領であり、確かに経済を中心としてその影響が多大である。しかし、悪い面の全てをアメリカのせいにしてはならないだろう。それらを取捨選択したのは、他ならぬ北マリアナ諸島連邦の人達だとも言えるのだから。逆に考えれば、だからこそ、自分たちの手で楽園を取り戻すことができるとも言えるのだ。



石油の枯渇を50年後にひかえて(注6)、1人当たり同じ豊かさを実現するためのエネルギー消費量が日本人やヨーロッパ人の約5倍も多いと言われるアメリカ流のライフスタイルが長持ちしないことは自明だろう(注7)。「大量生産・長距離輸送・大量消費・使い捨て」というアメリカ流のライフスタイルは、安い石油のバックアップと環境破壊なしでは成立し得ないからだ。しかも、そのようなライフスタイルを南洋の小島であるロタ島で実践する弊害は計り知れない。さらに、それが島に住む人々の幸せに貢献しているとは、とても思えない。むしろ、お金やモノに追いまくられて不満がうっ積したり、落後者として自信を失って無気力に堕しているようにさえ見える。



現状では、ロタ島のエネルギーのほとんど全てを石油とそれによって発電される電気に頼っている。太陽エネルギーなどの再生エネルギー(再生可能エネルギー)(注8)の利用は、皆無に近い状態だ。また、島内に太陽の恵みである豊富な食べ物がありながら、食料の大部分を日本やアメリカなどからの輸入に頼っている(写真)。スーパーなどで島の産物を探すことは至難だ(写真)。これらはロタ島内の雇用を減らすと共に、石油への依存を強めるので、島民にとってはダブルパンチとなる。いや、環境破壊がついてくるのでトリプルパンチだ。






ロタ島が楽園たることを妨げている要因はまだまだ色々ある。しかし、これについては項を改めて書きたい。




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4.ロタ島に「新たな楽園」をつくる



反楽園的要素があるとは言え、楽園的な要素に比べて少ないのは間違いないことだろう。それだけロタ島のポテンシャル(潜在能力)は高い。そこで、近自然学の考え方を活用して、今ある楽園的要素を壊さないようにすると共に、非楽園的要素を少しずつ取り除いて、ロタ島を再び楽園に戻したい。戻すといっても、過去へ戻すわけではない。住民の求める現代の豊かさを実現しながら、「新たな楽園」を創造するのだ。島に暮らす人々が幸せな人生を送ることができ、さらに私自身が住みたいと思えるような楽園をつくりあげたい。



この新しい楽園を創造するという目的をできるだけ効率良くに達成したい。そのために利用できるのが、「バックキャスト手法」だ(詳しくは次回のコラムで述べる)。

まず、我々がこれから進むべき方向を指し示してくれるヴィジョン(理想像)を定める。これは「楽園」で決まりだろう。次に、その手前の実際に実現できる(実現したい)と思われる到達目標を設定する。それが実現されると確実に楽園に近づくような目標のことだ。そして、そこへ至る道筋(方策、手段)を決めて進む。こうすると、時間的経済的な無駄が少なく、理想の楽園に近づけるのだ。



ロタ島は「新たな楽園」となるのか?

次回から、より具体的なテーマについて書いていきたい。




2006年9月20日、スイス近自然学研究所にて





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注1)北マリアナ諸島連邦

(Commonwealth of the Northern Mariana Islands)

日本語の正式表記は「北マリアナ連邦」だが、英語の正式名には語尾に「諸島」が含まれている。

小笠原諸島の南隣り、つまり知られざる日本の隣国だ。太平洋西部のミクロネシアにあり14の火山島からなるアメリカ自治領。1668年スペインが占領。1898年、グアム島を除くマリアナ諸島がドイツに売られた。第1次世界大戦後は日本が統治し、第2次世界大戦後はアメリカ信託統治領となる。最南端のグアム島を除くマリアナ諸島が、1978年自治政府を発足させてアメリカ自治領北マリアナ諸島連邦となった。首都はサイパン島のガラパン市。全人口8万1,500人のうちの93%が首都のあるサイパン島に集中している。





注2)近自然学(きんしぜんがく)

環境先進国であるスイス・ドイツを中心として広まりつつある新しい環境共生思想と技術を体系化したもの。今まで対立すると信じられていた我々の豊かさと自然環境とを両立させるように考える点が斬新であり、それ故に文化を越えて多くの人々に受け入れられやすいとも言えよう。そしてそれは「太陽エネルギー(雨・風・波・バイオマスなどの間接太陽エネルギーも含む)の有効利用」や「負荷は集中、対策は分散の原則」などによって可能となる。ただし、部分的から統合的思考法(広い視野を持つこと)への転換など、今までの考え方からの発想転換と、広い視野を持った新しい人材(ジェネラリスト)が必要である。





注3)フルーツバット

和名 マリアナオオコウモリ

学名 Pteropus mariannus

英名 Mariana Fruit Bat

チャモロ名 Fanihi

オオコウモリの仲間で、主に熟した果物を好んで食すためにこの名がある。

脊索動物門 哺乳綱 翼手目 大翼手亜目に属する動物で、大きな個体では翼開長1mを越す。夜行性だが超音波のレーダーは持たず、その代わり視覚と嗅覚がよく発達していて、熟した果物を見つけ嗅ぎ分ける。性格が温和でペットにもなる。ロタ島の動物園で飼われているものの中には、人間の姿を見ると、そばに近寄ってくる人懐っこい個体もいる。顔が犬やキツネに似ていて、ドイツ語では「Flughund(飛犬)」、英語では「flying fox(飛狐)」とも言う。

ジャイアントパンダやトラなどと同様に国際希少野生動物種に指定されている貴重種でもある。IUCN(国際自然保護連盟)によるレッドデータブックでは、マリアナオオコウモリを絶滅危惧種に指定している。ロタ島ではまだまだたくさん生息しているようだが、マリアナオオコウモリにとってロタ島は地上に残された最後の楽園と言えよう。





注4)ヤシガニ

和名 ヤシガニ

学名 Birgus latro

英名 Palm crab、Coconut crab、Robber crab

チャモロ名 Ayuyu(アジュジュと発音する)

節足動物門 甲殻綱 十脚目(エビ目) オカヤドカリ科の陸生ヤドカリ。貝殻を持たず、暗赤色のザリガニに近い形状。沖縄以南の熱帯諸島に分布する。幼生は海で過ごすが、成体は海に入らない。普通は海のそばに穴居するが、ロタ島では海からかなり離れた山岳部でも見かける。ロタ島のそれは脚開長1mに達し、体重5kgを越える巨大な個体もある。夜行性で、強大なはさみ足でココナッツやタコノキの実を割って食べる。その肉はとても美味しく、海のロブスター(アカザエビ科に属する大形の食用エビで、フランス料理ではオマールといい高級料理)と共にチャモロ人の代表的なご馳走となる。

ヤシガニは食料として貴重な資源ではあるが、ボルネオ・インドネシアの大部分・ニューギニアなどでは乱獲により絶滅したと言われ、かつては希少種に指定されていた(現在は情報不足)ので、大っぴらに食べてはいけない。





注5)チャモロ人とカロリン人

チャモロ人はマリアナ諸島のポリネシア系原住民。皮膚は淡褐色。性格は温和で親切。元々文化は低くなかった。1668年スペインが占領後、主にスペイン人との混血とカトリック宣教師の活躍を通じて、独自の文化は消滅したと言われるが、実際には古い知恵を伝承しているチャモロ人たちも少数だが存在する。現在のチャモロ人の姓はスペイン系のものが多く、チャモロ語にもスペイン語が多く入っている。ロタ島にはスペイン人が恐らくは奴隷として連れてきたミクロネシア系のカロリン人もおり、チャモロ人とカロリン人の社会的な差別はない。現に、2006年に選ばれた新しいガバナー(知事)はカロリン系だ。両者は似ており、かろうじて頭髪で区別が付く。チャモロ人の頭髪は直毛で、カロリン人のそれは縮れていると言われる。

写真は、ロタ島出身である政府高官のジェイムズ・サントス氏と奥様のキナイ氏。





注6)石油の枯渇を50年後にひかえて

枯渇と言っても地球上から石油が消滅するわけではない。石油によって得られるエネルギー以上のエネルギーをそれを得る(採掘する)ために投入しなければならず、採算が取れなくなるという意味だ。この限界点が埋蔵量と生産量から計算でき、OPEC諸国で84年、非OPEC諸国で25年、合計すると49年となる(2005年末現在)。

資本主義経済では、需要と供給の関係で値段が決まるので、これから枯渇に向かって石油価格はどんどん上がることが予想される。





注7)アメリカではエネルギー消費量が日本の約5倍多い

豊かさと環境を両立させようとする場合、国民1人当たりがある特定の豊かさを実現するのに必要とするエネルギー消費量に注目するという考え方がある。豊かさを計る物差しは難しいが、GNP(gross national product の略で国民総生産のこと)または GDP(gross domestic product の略で国内総生産のこと)で代表するのが一般的であろう。

アメリカ合衆国における国民1人当たりのエネルギー消費量は日本のそれに比べて約2.2倍多い(2000年のスイス政府発表のデータによる)。また、GNP1ドルを実現するための投入エネルギー量は、アメリカ合衆国では日本のそれに比べて約2.4倍多い(同)。故に、国民1人が同じ豊かさを実現するためのエネルギー消費量は、両者を掛け合わして約5.4倍多いことになる。

日本とヨーロッパ諸国はほぼ同レベルなので、日本やヨーロッパ諸国では、国民1人が同じ豊かさを実現するために、アメリカ合衆国の5分の1(約20%)のエネルギーしか必要としないことを意味する。つまり、それだけ効率が高いわけだ。

ちなみに、スイス人1人当たり、GNP1ドル当たりのエネルギー消費量は日本よりさらに低く、アメリカ合衆国の14分の1(約7%)でしかない。日本に比べてもその半分以下(約40%)と大変低く、従ってとても高効率だ。





注8)再生エネルギー(再生可能エネルギー)

再生エネルギーとは、使ってもどんどん再生してくるエネルギーのことで、一度使ったらお終いの、石油など枯渇エネルギー(化石エネルギー)に対する表現。ヨーロッパでは再生可能エネルギーと言う。自然エネルギーという表現が日本にあるが、石油も自然なエネルギーなので、国際的には通用しない。

太陽エネルギーが再生エネルギーの代表であるが、地熱エネルギーと潮汐エネルギーも含む。太陽エネルギーは光・熱の直接太陽エネルギーの他、風・雨・バイオマス(生物資源)・波などの間接太陽エネルギーも含む。有効利用の際は、むしろ間接太陽エネルギーの方が重要とも言える。

我々が利用できる再生エネルギーの総量の99.97%が太陽エネルギーなので、再生エネルギーを語る場合、太陽エネルギーを語ることとほぼ同義だとも言える。

再生エネルギーは石油や原子力などの集中したエネルギーとは反対に、分散したエネルギーだ。故に、その有効利用では、頭の切り替えがとても重要だ。現状では、大規模な施設に傾きがちで、成功しているとは言い難い。





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★動物種の解説では動物とビオトープの専門家、長谷川明子氏(1級ビオトープ計画管理士)のお世話になった。心からの謝辞を表したい。



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