「近自然」への発想転換

9月中旬より山脇正俊(やまわきまさとし)さんによる近自然学の連載が始まります。

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1)なぜ今までのやり方ではダメなのか?

 地球環境が崖っ縁らしいのに、我々は豊かさを諦められないから
  石油の枯渇が目前に迫っているから

至る所で、今までのやり方が通用しなくなっている。八方ふさがり的な閉塞感から、人類とその文明に大きな壁か崖が迫っているかもしれないという危惧を、多くの人達が直感していると言われる。IPCCなどの環境データによると、大気中のCO2濃度の加速的上昇が顕著で、地球の温暖化傾向も明瞭だ。このままでは、そう長くは続かないことは自明だ。どうやら、多くの人達の直感は正しいようだ。

近自然 近自然 近自然

このまま環境が汚染されたり自然が破壊され続けても、地球が消えてなくなるわけではない。従来の地球環境に依存して生きる動植物が滅びるだけだ。今、13分に1種、1時間に4種余り、1日に約110種、年間ではなんと約4万種以上が世界中で絶滅していると言われ、それがさらに加速状態である。同じ地球環境に適応して生きる我々人類にとって、動植物の絶滅はとても他人事ではない。人類への差し迫った警鐘と受け止めるべきだろう。

環境情報が氾濫しているのに、日本ではほとんどの人達が目前に迫っているかもしれない断崖に対する危機感が希薄だ。危機感が無ければ、それに対処することもできない。パニックは避けるべきだが、危険に対する危機感は、危機管理の第1条項である。我々動物においては、危機感こそが我々の命を守るとも言える。ブレーキを踏みハンドルを切らなければ、谷底へ落ちてしまうのだから……

地球のような長い年月をかけて作り上げられた複雑なシステムは、外力で何らかの変化が生じると、自分で元へ復元する能力がある。しかし、その能力にも限界があり、その限界を超えると後戻りできなくなる。今、地球はそんな崖っ縁(限界)に近付いていると言われる。もしかしたら、今がその崖への転落を避ける、人類にとっての最後のチャンスなのかもしれない。

さらには我々の近代文明を根底から支える石油の枯渇も間近に迫っている。
非OPEC諸国であと25年、OPEC諸国で84年、平均すると50年に満たない。アメリカ合衆国ではあと11年で油田が空になるのだ。枯渇の前には石油価格が高騰することは、自由経済の基本だ。これから価格がどんどん上がる石油を普通に購入して使えるのは、あと10年ほどでしかないという見方にも説得力がある。

では、そんな破局的状況を避けるにはどうしたらよいのだろう?

そのヒントを「近自然」は提供する。しかも、そのために我々の生活を犠牲にすることなしに、破局を回避することができるのである。

2)「豊かさと環境を両立させる」発想法への転換

「建設か保護か?」 「人間か動植物か?」 「経済か環境か?」 ……
世界の至る所で同様の対立が繰り返されている。これらは、言い換えれば「豊かさか環境か?」という意味だ。環境に配慮はしたいが、今の豊かさを落とすことはできない……これが我々の正直な気持ではないだろうか。

今まで我々は、これらの対立の場面で、(恐らくは苦渋の選択として)「建設、人間、経済」を選択してきた。その結果、地球環境はメチャメチャとなり、動植物は恐ろしい勢いで絶滅し続けている。しかしながら、我々が選択したはずの経済の現状はどうだろう? 素晴らしい状況とはとても言えないのではないか。我々は両方とも失ってしまったのだろうか? 何を間違えたのだろう?

そもそも「建設か保護か?」「経済か環境か?」「豊かさか環境か?」とハカリにかけるのは正しいことなのだろうか? これらは本当に両立しないのか?

……実は両立する。ただし、従来の考え方ややり方では両立し得ない。では、どうすれば良いのか?

*太陽エネルギーにより豊かさを実現する:脱石油

従来の我々の豊かさや利便性・快適性などは、枯渇資源である石油などの投入により成立していた。石油など化石資源は環境負荷が大きいことが分かっている。だから、我々が豊かになればなるほど地球環境が汚染され破壊された。逆に、地球環境に配慮すれば、我々の豊かさを落とさざるを得なかった。そして、豊かさを落とすことができない人類は、環境問題を解決できず、従って、我々に明るい未来はなかったのだ。

しかし、「豊かさ=環境負荷」、「環境配慮=貧しさ」と考えるのは短絡的すぎるようだ。「環境配慮」しながら「豊かさ」を維持する方法があるからだ。それが、「太陽エネルギーにより豊かさを実現する:脱石油」ことだ。これが成功すれば、我々は地球環境を壊すことなくもっともっと豊かになれる。つまり、我々の豊かさと環境が両立するのだ。これが「近自然理念」である。

そして、太陽エネルギーは人類や日本人にとって十分過ぎるほどあるのだ。あとはやり方、つまりテクノロジー(技術)の問題だと言えよう。

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*「負荷は集中、対策は分散」が原則

我々人類に残された時間は(おそらく)限りがあり、予算やマンパワーにも限度がある。故に、同じ負荷行為で環境へのインパクト(打撃)をできるだけ減らすように、また反対に、同じ環境対策や投資ができるだけ効果の上がるように配慮するのが得策だ。

我々人類の行為や活動は、良いものであれ悪いものであれ、必ず環境に影響を与える。ある場所での人間の行為とそれが環境に与える影響は、リニアな比例関係ではなく、次第に効果が上がらなくなる飽和曲線となる(太い曲線)。これを効率で見ると、ある所に効率最大のピーク(山)が出る(細い曲線)。

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人間の行為が環境へ与える影響曲線は、次第に増えなくなって飽和する(太い曲線)。効率を表わす直線の傾きが立つほど効率は大きく、寝るほど小さい。最も立った効率直線と行為影響曲線が交わる点(左側の丸)が効率最大で、小さな行為で環境への影響が大きいことを意味する。効率はこの点で最大のピーク(山)となり、その前後では効率は急激に落ちる(細い曲線)。
環境対策など環境に良い行為は効率最大のこの点を目指すのが良い。少しの対策で環境への貢献が大きいからだ。故に、程々の対策で止め、別の場所や別の領域へ対策を分散する方が、全体として環境への貢献が大きくなる。つまり、「対策は分散」。
逆に、汚染や破壊など環境に良くない行為はこの効率最大の点を避けたい。少しの汚染や破壊で環境の受けるダメージが大きいからだ。故に、汚染や破壊などの負荷行為は極小にとどめるか、ある程度の負荷をかけるなら1ヶ所に集中させるのが良い。これが、「負荷は集中」。

この関係から、豊かさを落とさずに環境に配慮した時、我々はどうすべきかのヒントが得られる。
つまり、「負荷は集中、対策は分散」という原則だ。

この原則から、例えば、環境に負荷のかかる汚染や開発行為は、ある場所に集中して分散させない方が良いことがわかる。つまり、ゾーニングなどでの注意点となるわけだ。
また逆に、スイスやドイツなどある一国だけ、または、CO2排出量の削減などある特定の分野だけで徹底的な環境対策をしても、地球全体の環境にとっては効果が薄いということも分かる。世界中があらゆる分野でほどほどに環境対策をとる方が、地球全体にとっての貢献が大きい。さらに言えば、政府が行う大きな環境対策プロジェクトよりも、市町村やさらには我々個人個人が生活のあらゆる分野で、できることをできる範囲でする方が、地球環境にとって重要なのだ。
つまり、カギを握るのはむしろ非力と思われがちな我々一人一人なのである。

3)「太陽エネルギーへの転換:脱石油」とバイオマス(生物資源)

 大規模な太陽光発電や風力発電などの集中利用より、小規模な分散利用が重要
  特に、森林などバイオマス(生物資源)の有効利用が成功のカギ

「石油エネルギーから太陽エネルギーへの転換:脱石油」が重要であることを述べた。しかし、太陽エネルギーへの転換を、大規模な太陽光発電や大型プロペラをズラーッと並べた風力発電のことだとイメージしてはいないだろうか? これらは、低密度で広く分散した太陽エネルギーの上手い利用法とは言えない。

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(写真:中島敦司氏)

分散エネルギーである太陽エネルギーはエネルギーを必要としている場所で得るのが基本だ。そうなると、おのずと小規模な物になる。風力利用なら、小型の縦軸型を各家庭の屋根に設置するのが良いだろう。そして何より、最も重要な『森林』などのバイオマス(生物資源)の有効利用を放置していたのでは、本当の「太陽エネルギーへの転換:脱石油」は成功し得ない。そのバイオマスの有効利用のために見直しが必要なのが、農林水産業だ。

今、日本で一般的な集約農業は、化学肥料、農薬、大型トラクターなど石油の大量投入によって、収穫量を増やし、付加価値を上げ、そして農産物を長距離輸送している。自国内に大きな森林があるにも関わらず、日本の林業は壊滅状態で、大部分を輸入に頼っている。。水産業もかつての沿岸や近海漁業が衰退して、石油の大量投入による遠洋漁業が主体となっている。さらには、農林水産物の海外からの輸入も、当然、大量の石油エネルギーを必要とする。つまり、農産物・木材・水産物が石油製品になってしまったと言っても過言ではない。

元々、農林水産業は太陽の恵みであるバイオマスを有効利用する産業である。環境共生共存のためには、マンパワーと太陽エネルギーを最大限活用した「近自然な農林水産業」の実現がとても重要なのである。


4)「バックキャスト手法」の重要性

 バックキャスト手法はプロジェクトを確実に成功へ導く
  ヴィジョン(理想像)、到達目標、道筋(方策・施策)を混同しない

プロジェクトが成功するのは偶然ではない。確実に成功へ導くための手法が存在するのだ。それが「バックキャスト手法」である。バックキャストとは、後ろへ投げるという意味で、この反対がフォアキャスト(前へ投げる)だ。
バックキャスト手法とは、遠くの北極星(ヴィジョン・理想像)を見据えた上で、将来の着地点(到達目標)を設定し、そこへ到達するための道筋(方策・施策)を選択して実行するやり方のことだ。つまり、このバックキャスト手法を実行するためには、まず明確なヴィジョン(理想像)をイメージすることが不可欠となる。このヴィジョンなしに、闇雲に到達目標だけを設定して進んでも、右往左往を繰り返す危険性が大きい。

しかし、ヴィジョン(理想像)が明確にイメージできていないにも関わらず、到達目標のみを設定しているプロジェクトが多い。そうすると到達目標へ向かうという目先の行動そのものに夢中になってしまい、プロジェクト全体を俯瞰する視点を失ってしまう。つまり、到達目標が本当に自分たちの求める方向にそった物なのかどうかの確認ができないのだ。さらには、到達目標すら設定せずに、具体的施策のみを選択して走り出すことすらある。つまり、目標を持たずに道を歩むわけだ。これでは、せっかくの情熱や行動力が空回りしてしまい、残念な結果に終わる危険性が大きい。

そこで注意しなければならないのは、

 *ヴィジョン(理想像)をしっかりイメージすること
  *ヴィジョン(理想像)と到達目標(一里塚)を混同しないこと
  *目的(到達目標)と手段(道筋・方策・施策)を混同しないこと

の3点だ。

ヴィジョン(理想像)は実現すべき姿ではない。我々の進む方向を示してくれる物であり、実現不可能でも一向に構わない。逆に、到達目標は確実に実現するための姿であるので、実現できなければ、設定がおかしいのだ。また、ある状態(目的)を実現するための道筋が、手段(工法・方策・施策など)である。ところが、多くの人は、いきなり「何をすれば良いのか(施策)」を求めがちである。このような、手段(施策)が目的になってしまっている例があとを絶たないのは、憂慮すべきことだ。

ヴィジョン(理想像)を見つけるためには、「リストアップ手法」が有効だ。
今ある物、ない物、欲しい物をリストアップして、自分たちの求めるまちの姿を確認する手法である。それほど難しいものではないので、一度、試されることをお薦めしたい。

5)ランドシャフト(気持よさ)を環境評価の一基準に

 良いランドシャフトは「気持よい」こと
  「気持よい」は「生き延びやすい」につながる
  「気持よい」ことを基準にまちの環境を見直そう

ランドシャフトはドイツ語(英語ではランドスケープだが、都市景観を意味するデザイン的性格が強い)で、日本では景観(ながめ)と訳された。しかし、見た目だけのことではなく、実際には五感と心の動きまでを含めた概念である。

良いランドシャフトとは、「気持よい・心地よい・快い」もので、さらには、美味しい・楽しい・好きなども含まれる。

なぜこの「気持よい」ことが重要なのだろう?
それは、五感(視・聴・嗅・味・触覚)が人間を含めた動物では、危険を察知するセンサーとして発達した歴史があることに関係する。その五感に違和感のある状態、つまり不快な状態は、そこに危険があることを直感的に察知していると言えよう。逆に、危険センサーである五感に違和感のない状態、つまり気持よい状態は、そこが安全で食べ物が豊富、さらには子孫が繁栄するなど、「生き延びやすい」ことを感じていると言える。

そこで、この「気持よさ」を目安に、我々の周囲を見直してみよう。
近自然では、この「気持よさ」を環境評価のひとつの基準とすることを提案したい。
この評価法なら一般市民も環境評価に参加できる。これにより、気持の良い川・道・まちなどが実現でき、我々の人生の質が上がるに違いない。


上の2組の川とまちの写真見ていただきたい。皆さんは左右どちらを「気持よい」と感じるだろうか?
多くの人が「右側の写真」と答えるに違いない。つまり、右の方が「生き延びやすい」「住みやすい」ことを、直感的・本能的に感じ取っていることを意味する。そしてそれは、多少の個人差はあるものの、国や文化や世代などを超越した共通点のあるものと言えるようだ。
近自然の応用

【新しいまちづくり】

 市街地の機能性を高め、同時に環境負荷を低減するまちづくり
  本当に住みやすいまちは環境負荷も小さい

市街地は環境負荷が大きいが、同じインフラを多くの住民がシェアして利用でき、しかも負荷が一ヶ所に集中しているので、環境にとって有利だとも言える(「負荷は集中」の原則)。やり方によっては、同じ豊かさ・利便性・快適性を住民1人当たりでは少ない環境負荷で実現できるのだ。

「近自然」による新しいまちづくりは、まちの機能性を高めて住民の豊かさ(利便性・快適性・生活のクォリティー)を上げ、同時に環境負荷を下げることを目指す。

*市街地の集中と高密度化

「人間の行為」と「環境への影響」の関係は直線の比例関係とはならず、飽和曲線となることを述べた。つまり、環境へのインパクト(悪影響)を低減するために、環境負荷となる人間の行為を一ヶ所に集中させるのが原則である。環境負荷である市街地を分散・拡散させると、同じ負荷量でありながら自然や環境の受けるダメージが大きくなってしまうからだ。

そんなわけで、市街地は「集中+高密度化」したい。

我々の豊かさのためには、市街地の利用面積が必要だ。
ところが、市街地の周辺部は動植物にとって利用しにくいので、この「周囲の長さ」が自然環境への負荷の目安となる。つまり、同じ利用面積でも周囲長が長ければ長いほど環境へのインパクトが大きく、逆に、短ければ短いほどインパクトが小さいことになる。周囲長を長くしないために、市街地は集中させ(分散させずにひとまとめにする)、高密度化(高層建築という意味ではなく、平屋を並べないで、例えば、4階建ての集合住宅にまとめる)するのが効果的だ。
既存の市街地を集中高密度化しても、諸般の事情でまち自体をそれほどコンパクト化できないかもしれない。しかし、内部に土地の余裕ができ、緑地を増やすことは可能だろう。そしてそれは、住環境のクォリティーを向上させて住民の住みやすさに寄与するばかりではなく、市街地の安全保障上からも望ましい。さらに、緑地が増えることにより、緑地周辺の土地の価値を上げ、経済的にもメリットが大きいのだ。多くの人達が、緑地に囲まれて生活したいし、窓外に木々の見渡せるオフィスで仕事をしたいと願うからだ。これは「ランドシャフト」の項でも述べたように、気持よさを求める人間の本能的な欲求なのである。

*職・住・商・学・育・医・緑・遊などの要素の近在

市街地(大都市ではその中の小ユニット)内では、職・住・商・学・育・医・緑・遊などの要素を混在・近在させたい。そうすると、日常生活はこの中だけで大抵のことが間に合い、日々の人の移動や物流を最小限に抑えることができる。朝夕のラッシュや渋滞とも無縁となる。職場や学校や商店や緑地などが住居に近いので、環境負荷を大幅に低減させると同時に、住民の精神的、肉体的な負担はずっと軽くなる。

また、家族が近くにいることは大きな安心感を生む。そして、それは安全保障上の基本でもあるのだ。

【新しい道づくり】

 安全、低エミッション、流れがスムーズ、そして走りやすい道路設計法。

従来の道づくりでは、1台の車が目的地へ迅速に移動できることを重視した。
その結果道路は、

 ・広い
  ・真直ぐ
  ・見通しが良い
  ・障害物がない
  ・夜も明るい
  ・交差点は信号で制御
  ・すべての危険要素を排除

となった。

しかし、急速なモータリゼーションの発展により、1台の車だけではなく、群れや流れとして捉える必要性が生じた。また、交通工学・環境工学・交通心理学の発展やデータ処理の高率化により、思いもよらなかった問題点が明らかになってきた。その最大のものが交通事故で、全世界で年間50万以上の人命が失われ、1,500万人以上が身体障害を受けていると言わる。そしてその数はさらに増え続けているのだ。

 ・重大な交通事故の多発
  ・エミッション(排ガス・騒音・粉塵・悪臭・振動・熱・電磁波など)の増加
  ・渋滞の日常化
  ・路上雨水による川の洪水ピークの上昇や水質汚染の悪化
  ・交通弱者(歩行者・自転車・野生動物など)への高い危険性
  ・集落、エコシステム、ランドシャフトなど、人間や動植物の生活を分断
  ・運転が単調でつまらなく、眠気を誘う

などが主な問題点だ。

これらの問題の多くが、車のスピードが上がる(またはスピードが増減する)ための弊害と思われる。現在のガソリン車は時速60km位でコンスタントに走ると最大の効率を発揮する。つまり燃費が最も良く、同じ距離を走っても排ガスが少ないわけだ。また、沢山の車が一度に走る場合、1台の時の振舞いとは全く異なり、そのスピードにより流せる車の量が異なることが分かってきた(交通容量といい、日本ではスピードに関係なく、1車線1時間当り2,200台に固定!)。これは、物理法則と心理効果により車のスピードと車間距離とが比例しないためである。この効率の最も良いのがやはり時速約60km(一般道路)なのだ。

それなら、時速60kmの速度規制をすれば良いように思うが、実際にはなかなか守ることができない。それは、道路が速く走るように造られていて、人間の心理を無視しているからだ。そこで、速度規制なしでも時速60kmでコンスタントに走れるように、道路そのものを設計してしまえば良いのではないか。

そうすると、

 ・狭い
  ・左右にワインディング:蛇行
  ・地形なりにアップダウン
  ・並木や木立などで見通しが悪い
  ・障害物がある(心理的に)
  ・夜は暗い(合流点、横断歩道などは照明する)
  ・交差点はロータリーなどで制御
  ・軽い緊張感を与える

などという、従来とは全く逆のものとなる。あまりに従来のものと正反対なので、戸惑いや反発を覚える人が出るかも知れないが、考え方が違うので相違は当然なのだ。スイスでは10年以上の実績を積み、死亡事故の激減(1970年代には1年間の交通事故死者数が1,700名を越えていたが、2005年は412名に減った。しかも、クルマの数が1960年から現在まで10倍に増えているにもかかわらずだ。……もちろん道路設計法だけのためではないが)という大成功を収めている。

【新しい川づくり】

 治水と同時に、自然環境、ランドシャフト、親水性、自浄力なども改善する。

1970年代にスイス・チューリッヒ州とドイツ・バイエルン州で始まった新しい川づくり(スイス・ドイツでは『近自然河川工法』、日本では『多自然型川づくり』または『多自然川づくり』と言う)は、人間の豊かさと環境を両立させた河川改修法だ。

人間の豊かさのためには、人命・財産を洪水から守ること。そして忘れてはならないのが人間の「心」を大切にすることだ。心を大切にするとは、素晴らしいランドシャフト(「五感+心」で認識する物:景観・景域・風景・風土・情景・心象風景)、つまり、気持の良い川を実現することである。

地球環境のためには、水循環を健全化すること、そして川が持つ自然のダイナミクス(浸食・堆積・洪水)をできるだけ復活させることだ。

自然なダイナミクスを実現できれば、動植物(エコシステム、生態系)のためにも、ランドシャフト(気持の良い川)のためにも、親水性のためにも、そして自浄力(水質浄化能力)を高めることにも大きく貢献する。しかも、自然の力を利用するため、建設が低コストで環境負荷が小さいのだ。

(ドイツ・バイエルン州、ロイサッハ川、1994年に治水のための再改修を受けた)

【新しいビジネス】

 環境共生はビジネスの救世主!?
  コストダウンは「地下資源と石油エネルギー」の節減で実現する
  付加価値は「マンパワー:頭脳・手作業・肉体労働」と太陽エネルギーの投入で高める

今まで、環境配慮は経済にとってはマイナスだと言われてきた。しかし、この認識は間もなく大転換するだろう。石油があと50年ほどで枯渇することが決定的だからだ。枯渇の前には、石油の価格は高騰することが予想される。従来の経済は当然のことながら石油のバックアップで成り立っていた。そんな石油に依存した経済に明るい未来はない。石油エネルギーから太陽エネルギーへの転換は、環境のためばかりではなく、実は経済にとっても死活問題なのだ。

「近自然学」では地球環境に配慮するだけではなく、我々の豊かさを認める。つまり、今まで矛盾して対立するものと信じられていた、「豊かさ」と「自然環境」とを両立させるのだ。それはそれほど難しいことではないが、発想転換が必要である。

(写真:光井淳之氏)

(写真:クロノス)

従来のコストダウンは、すぐに人件費を節約しがちであった。その代わりに地下資源と石油エネルギーをふんだんに投入した。自動販売機などはその典型だろう。しかし、これは環境共生共存からは疑問の多いものだ。地下資源と石油エネルギーの投入は環境負荷が大きく、人件費の節約は失業者を増やし、我々の豊かさを損なうからだ。

豊かさと地球環境を両立させるためには、これを逆転させる。つまり、過度の人件費の節減を避け、地下資源と石油エネルギーの投入量を減らすことによって実現するコストダウンだ。

また、地下資源と石油エネルギーを惜しみなく投入するという従来の付加価値アップのやり方も、同様の理由で問題が多い。これからは、マンパワー(頭脳労働、手作業、肉体労働など)と太陽エネルギーの投入で付加価値を高めたい。

例えば、スイスの機械式時計だ。数千万円もする時計はざらだが、その価値のほとんどが人件費なのだ。熟練した職人の卓越したアイデアと、気の遠くなるような細かく長い手作業によって高められた付加価値である。素晴らしい魅力を獲得していながら、その収入の多くが所得として手元に残る。

スイスの時計は極端な例だが、同じように勤勉で手先の器用な日本人にとって、これからのビジネスの方向を示唆してはいないだろうか。それは、地下資源と石油エネルギーの投入量をできるだけ抑え、アイデアや手作業などのマンパワーで付加価値を上げることなのだ。そうすると、地球環境への負荷が小さく、国内の雇用を確保できる上に、手元に残る所得を増やすことによって我々の豊かさに大きく寄与することになる。つまり、ここでは「豊かさと環境が両立」しており、これこそ「近自然ビジネス」の典型と言えるのではないだろうか。

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いずれにしても、環境に配慮する生活が我々の人生を窮屈にするなら、成功はおぼつかないだろう。豊かさと環境を両立させる「近自然」では、環境配慮が我々の人生をさらに豊かに楽しく充実した物にしてくれるように考える。それなら、きっと多くの方々が賛同し実行するに違いないだろう。

参考文献:山脇正俊著『近自然学』(山海堂)

おわり (チューリッヒにて、2006年8月、山脇正俊)


山脇正俊(やまわき まさとし)プロフィール


電気工学修士(ドクターコース終了相当)
近自然(工)学研究家
スイス近自然研究所代表
スイス連邦工科大学・チューリッヒ州立総合大学講師(武道)
北海道工業大学客員教授
E-mail : masatoshiyamawaki@yahoo.co.jp
Homepage:http://members.aol.com/masayama/

1950年、高知県生まれ。
1978年、早稲田大学大学院理工学研究科後期博士課程でスイス連邦立チューリッヒ工科大学高電圧研究室へ客員研究員として招かれ永住
1980年より、スイス連邦立チューリッヒ工科大学、チューリッヒ州立総合大学講師(武道)
2004年より、北海道工業大学客員教授

スイス・ドイツの新しい川づくり「近自然河川工法」を日本に紹介し続け、国土交通省河川局の「多自然型川づくり」の成立と普及に力を注いできた。
現在、近自然(地球環境と人との共生共存の包括的理念)やその体系的原則である近自然学、具体的応用と実践である近自然工学・近自然工法(川づくり、道づくり、まちづくり、など)の研究をライフワークとする。
近自然の啓蒙普及を目的としたシンポジウム・技術セミナーの企画や、スイス・ドイツへの視察研修をコーディネート。

近自然(工)学に関する講演・訳著・論文、ラジオ・テレビ出演多数。

地球環境と人との共生共存の理念や実践について解説した著書『近自然工学』(信山社サイテック)、2000年出版(2001年完売)。2004年4月にはさらにスケールアップした、新しい川づくり、新しい道づくり、新しいまちづくり、新しいエネルギー利用、新しい農林水産業、新しいビジネスなど、近自然の思想・理念・原則を実践例をまじえて解説した『近自然学』(山海堂、3,500円)を出版。多くの大学、専門学校、保護団体などで教科書・参考書指定を受けている。

2004年9月からの、日経BPウェブサイトにおける、『入門「近自然学」~豊かさと環境の両立は可能だ』の連載(http://www.nikkeibp.co.jp/style/bizinno/http://www.teamrenzan.com/archives/special1/kinshizengaku/article20040907.shtml)は、読者の大きな反響のため、予定を大幅に越え、1年以上続いた。